D a t e 2017/8/20
敗者の想像力 加藤典洋 集英社文庫 2017/5刊
欧米人には、人の目をしっかり見て話す という前ふりがある。
自分の意見をはっきりという流儀を身に着けることが「国際流儀」だなといわれる。
が、「そんなことないのや」とフランス文学者多田道太郎。
多田道太郎の観察。強国の住民、とりわけその社会のエリート層である知識人、政治家は確かに。
「敗者の想像力」の原風景 東欧とかハンガリー、チェコ。
そういう国々の人々の伏し目がちな姿勢。他の強国に攻め入られた歴史、植民地された歴史。
1945年の日本。
福沢諭吉のような旧幕臣で自分が「敗者」であることを忘れない人々の存在。非勝利者の眼差し
世界の大半の人々につながる。
戦後の日本社会の未知の領域がこの敗者の想像力ともいうべきもの。
小津安二郎、「敗北の文化」、カズオ・イシグロ
なぜ韓国の娯楽映画は面白くなったのか 韓国で長年タブー視されていた出来事の取り扱い
そして先鋭的な文化的意味、さらに政治的意味をもつようになった。
「電通」の制圧のもと、政治的タブーは文化的にしか解除されない。
「電通文化」 企業文化、会社文化、出る杭は打たれる、体制に抗わない 使える 鋭い感受性
大江健三郎「水死」