東国88ヶ所 その2

第6番円明山延命寺から第9番龍宿山西明寺まで 京急八丁畷から東急新丸子まで。
主な経由地 ハッピーロード・戸手小学校・神奈川道(池上道)・有吉堤跡・武蔵小杉
日本医大小杉病院

タワーマンションの街とJR横須賀線、武蔵野線と新幹線、
そして多摩川の水害について学ぶ。


八丁畷  江戸時代、川崎宿から田んぼ道がまっすぐ八丁(約800m)続ていたのが
由来という。

東海道貨物旧線が京急を越えていた所。レンガ造りの旧跡。

 元禄7年(1654)5月故郷の伊賀上野に向かう松尾芭蕉。
送りにきた門弟たちに芭蕉が送った句。
『麦の穂を たよりにつかむ 別れかな』

NTTドコモ川崎ビル 電気通信設備の収容を目的としたノードビル。
2002年8月竣工。地上19階地下3階・塔屋2階。

第6番 円明山宝蔵院延命寺 真言宗智山派  川崎市幸区都町4-2
緑豊かな境内。門の横に「新四国八十八カ所第六番」とあるのがいい。
創建年代は不詳だが江戸の中期らしい。「南河原雨乞獅子頭三頭」(川崎市重要郷土資料)が所蔵。1668年ごろ川崎周辺では干ばつの被害があったという。大正時代にはこの伝承は廃れたという。

北西に向かい第二京浜を横切り進むと幸区古川町。「丁目」のない単独町名。
幸区の中央、多摩川のもと自然堤防に沿って湾曲。
小学校では運動会が開かれていた。

平間山稱名寺 浄土真宗 川崎市幸区平間183
赤穂義士と縁の深い寺。
「大討ち入り前日の13日付けで大石内蔵助は赤穂藩主浅野家の菩提寺へ『大石内蔵助より花岳寺ほかへ送る暇乞いの状』なる長文の遺言状を送っています。その文中には討ち入りのため、京都を旅立った後、神奈川に入り鎌倉に宿泊、その後川崎近所平間村に逗留との記述。
この逗留の場所が稱名寺前の道を挟んだ平間村の農家軽部五兵衛屋敷です」
(稱名寺のHP)より

府中街道(国道409号線)が西に向かうとき下平間交差点で細くなってやや南にカーブ。
広い道としてつがっているのが川崎市の市道。通称「南部沿線道路」
車で走るとか歩くにはあまり関係ないが、認定路線名と都市計画道路名の構成やや複雑。

上平間八幡大神
アサガミ事件集結の地 アミガサ事件 1914年(大正3)9月16日多摩川下流の住民らが築堤を求めて神奈川県庁へ大挙して押し寄せた事件。翌年から有吉忠一知事の真摯な取り組みで堤防完成(堤防工事は内務大臣の許可が必要だったので道路改修名目で旧橘樹郡道をかさ上げした)。
 近代以前より多摩川の氾濫で下流の人々は苦しめられていた。村レベルでも築堤のようなことがなされていたが反対側の東京市のほうが力が強く、神奈川の村が堤を高くすると東京の村がさらに高い堤防を築くため、増水時は神奈川県側が氾濫。
 また、国策としての帝都防衛があり、多摩川の築堤申請を認めなかった。

連続テレビドラマ「岸辺のアルバム」の題材にもなった1974年9月水害の悲劇のあったのはもう少し上流の東京側・狛江市。

第7番 瑠璃光山長壽院無量寺  真言宗智山派  川崎市中原区中丸子498
面する道が有吉堤の跡。前に中丸子公園があり有吉堤竣工100年の記念碑がある。

 天正年間(1580)に覚源和尚により開創。昭和20年4月戦災で寺宝は焼失。同29年再建。

境内から遠くに見えるキャノンとかタワーマンション群は多摩川の反対側

「東国第七番本尊阿弥陀如来」

育ちのよさそうな猫

近くの神社では秋祭りの準備

御幸踏切・高架橋から 横須賀瀬線・湘南新宿ライン・相鉄・JR直通線を横切りその先南側で武蔵野貨物線が顔をだす。新幹線は上を行く。

第8番 西光山東福寺  真言宗智山派 川崎市中原区市ノ坪
創建年代不詳

第9番 龍宿山金剛院西明寺  川崎市中原区小杉御殿町
創建年代不詳だが奈良時代、有馬(宮前区)に創建されたらしい。

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