東国88か所 その15

2024年1月13日
第八十一番 南向山補陀洛寺 第八十二番泉谷山浄光明寺
京急逗子・葉山からJR鎌倉

主な経由地 川間川 披露山公園 小坪 光明寺 第八十一番 材木座海岸 光明寺
水道路 大町四つ角 鎌倉駅 小町通 川喜多映画記念館 第八十二番 古賀亭 商工会議所

美術館、教会、なにか不思議な印象の建物

逗子市新宿2丁目付近 披露山公園にむかう

披露山公園から相模湾 遠くに伊豆大島。

披露山公園から  江の島。手前は披露山公園庭園住宅、逗子マリーナ。
川端康成が住んでいた逗子マリーナ、石原慎太郎もこの公園近くに居を構えていた。
富士山は雲で見えず。

第八十一番 南向山補陀洛寺 真言宗大覚寺派 養和元年(1181)文覚上人が創建
今はひっそりとした境内だが、創建当時は七堂伽藍をもった壮大な寺院であったが海が近く度々、竜巻の被害にあった。「竜巻寺」の異名も。それでも今なお多くの仏像、彫像が残る。

真言宗大覚寺派 大本山は旧嵯峨御所・大覚寺(京都)
       876年嵯峨天皇の娘が息子にあたる恒寂入道親王を開山として大覚寺を開創。
       大覚寺の建物は皇室ゆかりのものが多い。

水道路交差点  水道路。横須賀の海軍の水道を通すために鉄管を敷設した道路 日露戦争後の軍備増強の結果それまでの供給ルート(走水系統)では不十分になったため愛川町半原の中津川に取水口を設置。約53キロの距離を落差約70メートル自然流下により設置(1912年着工、28年に通水開始。半原、厚木、海老名、藤沢、鎌倉を経由して横須賀市の逸見浄水場にいたる。
しかし、需要減少、水質悪化、施設老朽化のため2015年2月に廃止となった。

横須賀線 E217系電車(1994~1999製造 最高速度120k/h)

大町四ツ角 鎌倉時代の商業の中心地区。「TONKATSU」は2019年オープンのとんかつ専門店「ザ・トンカツ・クラブ」

法華山本興寺 日蓮上人の鎌倉辻説法の由緒地に延元元年(1336)建立。
別称「辻の本興寺」

夷堂橋と滑川
夷堂橋 鎌倉十橋の一つ。夷堂とは源頼朝が鬼門にあたる方向の鎮守として夷神(エビスガミ)を祀ったのが始まり。
滑川 全長6.3キロの2級河川。朝比奈峠付近を源流に相模湾にそそぐ。右岸(西側)が由比ガ浜、左岸(東側)が材木座海岸。

鎌倉市雪ノ下 川喜多映画記念館付近。「鎌倉夫人」という小説があるが、舞台はこのあたり?
映画の輸入・配給で国際的に活躍してきた川喜多長政・かしこ夫妻の旧邸宅跡に2010年開館。

護国寺 正式には日蓮正宗立正山護国寺。

第八十二番 泉谷山浄光明寺 真言宗泉湧派準別格本山
鎌倉地蔵菩薩霊場二十四カ所第一六番、第一七番、鎌倉観音霊場三十三カ所第二五番、
相模国弘法大師霊場二一カ所第六番、鎌倉十三仏霊場第九番でもある。

閑静な境内と住宅街  作家の里見弴や文芸評論家の中村光夫もこのあたりに居を構えたと。

正和2年(1313年)の銘をもつ石造りの網引地蔵

「裏山にはやぐらがあり、網引地蔵と呼ばれる石造地蔵菩薩坐像が安置されています。
 昔、由比ガ浜で漁夫が引いていた網にかかってあがってきたので、これを網引地蔵と名け、
 ここに安置したといわれています」(鎌倉市公式HP)

道を戻り鎌倉駅に向かうが一寸した遠回り。
古我亭 鎌倉3大洋館の一つ。今はフレンチレストランとして活用。
「大正5年(1916)建築の歴史ある「古我邸」が美食レストランとして平成27年(2015)にオープン。見晴らしのよい高台に佇む洋館の内装は、建築当初の雰囲気を残しつつもモダンなエッセンスを取り入れたもの」(鎌倉市公式HP・公益社団法人鎌倉市観光協会より)
 

ランチ7,500円~、ディナー25,000円~(2024年1月HP)やはり高いですね(自分の主観)

鎌倉商工会議所 30年前、仕事で度々訪れていた。この建物の構造が気になっていた。
その建物、いまでも健在。

「無柱の平面を持つ2階床のワッフルスラブを4本の柱上にピン構造で支え、1階の外周壁をガラスのカーテンウォールとすることで、スラブが宙に浮かんでいるように見せている」
(文化庁のHPより)
1969年竣工・武基雄(早稲田大学)設計。
写真はその「ピン」。見あげれば確かに床はワッフルに似ている。
道路ののり面でも見かける。

続く 結願です

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