東国88ヶ所 その6

第22番海浦山吉祥寺と第23番妙智山歓成院
横浜駅から東急大倉山まで

主な経由地 反町・白楽町・菊名池・菊名駅・大倉4丁目

廃寺と著名な建築が

横浜駅北の鶴屋橋付近 前はMORESという商業ビルがあったように記憶しているが大きく変貌している。

北に進むと台町。江戸の昔は海で眺めがよく東海道でも有名な景勝地だった。
広重の『東海道五十三次』の神奈川台之景が有名。
現在はというとマンションが乱立というか乱築。

東急横浜線が地下化された(2004年)後にできた「東横フラワー緑道」を進めば桐畑を過ぎて反町となる。その一角にあったマンションの玄関のエンブレム。
Griffin ギリシャ神話にある鷲の頭・翼とライオンの胴体とをもった怪獣。

木造の味のある造り

反町1丁目付近 このあたりは昔、遊郭があった。当時の復元図にもある
菊家という鰻の創業130年以上の老舗。

ENDO GROCERY  
「遠藤商店」とかの店だったが後継者もなく今は自動販売機だけが置かれている・・・のではないかなと思った
grocery  食糧雑貨店

神奈川区蓋二ツ谷町付近。江戸末期の開国時、近くには「神奈川湊」があり各国との通商条約でそこを開港する予定だった。しかし東海道も通っており外国人が入ってくることによる混乱をおそれ幕府は入り江の対岸にある「横浜」を開港した。
滝野川(片倉が水源)もこのあたりは暗渠になっている。

二つ谷公園 ここの横から東急東横線は地下に潜る。左の樹木の間に電車が見える。

東白楽駅の東側、坂に面した住宅の間から横浜駅方面を見る

坂の一番高いところにも新たな建物が建築中。眺めはよさそうだが・・・
遠くの横に大きい建物は神奈川区神大寺あたりか

22番吉祥寺南側の階段

鬱蒼とした木々の間に吉祥寺の屋根が見えた
第22番 海浦山新源院吉祥寺 真言宗智山派 
元和二年(1616)に開基。神奈川宿小伝馬町にあり金蔵院の隠居寺。
明治元年に罹災、明治38年にここに移転、大正8年本堂を再建。

2010年頃のネットには訪問記事があるが、その数年後には「廃墟~」の記事にもなっている。14,5年前ごろから廃寺ではないものの隣接する寺が管理しているらしい。

正面の入り口は閉鎖。何か工事をしているらしいかった。
寂しい風景であった。

寂しい風景の吉祥寺を後に坂を下り東横線の下を横切れば六角橋商店街の一角。白楽駅から神奈川大学への通学路でもあり通りも活気があるよう。表通りの奥には細い仲見世通り(六角橋ふれあい通り)がある。駅前には映画館もあったらしい。女優の岸恵子草笛光子はこの近辺の生まれと。 

今度はゆっくりと訪れてみたいなと思った古書店

昭和の雰囲気を残す珈琲ショップ

何の店だろうかと思いながら前を通る

北に向かって歩く。歩く道は旧綱島街道。妙蓮寺駅の手前に小さな公園がある。地図で見るとこの下を東海道貨物線が通っている。

菊名池 平安時代の昔よりの灌漑(かんがい)用水として付近の農民に寄与ししていた

「菊名池の水は、大豆戸(まめど)村(菊名村も一部含む)の農地を潤す主要な用水であり、池の北端から、鶴見川へ向かって用水路が流れ出ていました。大豆戸村の農家を中心として水利組合も作られていました。この用水路は、かつて大豆戸菊名用水路とか、大豆戸根川(まめどねがわ)などと呼ばれていました。現在は暗渠となっていて、幻の菊名川などと呼ぶ人もいますが、本当の菊名川は三浦半島にあり、その辺りから菊名一族が港北の地に移り住み、菊名の地名が出来たとの説があります」  公益財団法人大蔵精神文化研究所のHPから

菊名川の暗渠を北に行く

東急線をくぐる菊名川と別れやや急な坂を登る。

錦が丘 昭和初期に東急が沿線開発の目的で作った「菊名住宅分譲地」
その中心にラウンドアバウトの交差点。ここが駅前になる予定だったが国鉄横浜線の接続を考えて菊名駅は現在の位置になった。

駅から近いが「超高齢化社会」の今、この坂道はちょっときついかも。
下り坂の先が交差点。

JR横浜線菊名駅 大正15年9月開業
東急東横線との乗換駅であったが同線への旅客流失防止のため快速通過駅だったが市民運動や東急線内の客の流れの変化(横浜・桜木町間の廃止)により逆に東急線からの客の取り込むための方針転換で2006年8月のダイヤ改正で快速停車駅となった。

さらに北に進むと時間管理機器・システムのメーカーのアマノの本社・工場
などがある。

新幹線や環状2号を横切ってゆけば大倉山。大きな団地や会社の寮の建物が多い。
かつて勤務していた企業の研修施設も大倉山にあった。
当時、研修施設を「大倉山」と呼んでいた。もう50年近くの前のはなしだが。

第23番 妙智山法華寺歓成院  高野山真言宗
永禄3年(1560)開基

「本堂は客殿新築に合わせ、令和4年にカーボンファイバー(炭素繊維)を用いる最新工法にて耐震補強工事完了」
(設計・監理 隈研吾建築都市設計事務所、江尻建築構造設計事務所)寺のHPから

隈研吾と言えば世界的な建築家だが、ここ大倉山の出身らしい

帰路、東急大倉山駅に向かう。途中、築年数の経過した民家をみる。
自分が初めて大倉山に来た時にも(50年以上前、会社の新人研修で)
この建物はあったのだろうとか思いながら歩く。

東急大倉山駅 50年以上前、初めて電車を降りたときと駅の構造はあまり変わっていないようだ。

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