東国88ヶ所 その1

2023年9月16日土曜日。
スタート 京急川崎大師駅 本日の終点 八丁畷

 国土地理院2・5万図川崎 一部

主な経由地  大師公園・競馬場北側・堀之内・日本鋼管病院・京町(横浜市鶴見区)
残暑が厳しく、というよりもほとんど真夏のような気候。京急太師線川崎大師駅がスタート。

 この昭和的な造り。こういう構造の階段、昔、大阪飛田にもあった。

第一番金剛山平間寺(川崎大師)
駅から6,7分。仲道商店街をぬけて着く。初もうで参拝客が全国でも1,2番を争う。
「関東八十八ヶ所霊場」特別霊場 「玉川八十八ヶ所霊場」第一番霊場とあるが
「東国八十八ヶ所」がないのが少し寂しい。

関東八十八ヶ所霊場  第一番高崎観音結願慈眼院 八十八番は聖天山歓喜院(熊谷市妻沼)
玉川八十八ヶ所霊場  第一番金剛山平間寺    八十八番宝憧院(東京大田区)

 川崎大師を後に西に向かう。右側(北側)に味の素の工場が見える。工場のある所の地名は
「鈴木町」。創業者の名前をとったもので鈴木製薬の名称でスタート。鈴木町には住民登録しているものはいないという(令和5年3月現在)。

大師通りを西に向かえば日本コロンビア工場跡地に建つ3棟の高層マンション。
ここに1909年(明治42年)日米蓄音機製造がレコード製造工場を建設。

川崎競馬場・JRA
1915年(大正4年)富士瓦斯紡績が職工2500人を擁した工場の跡地のの建物。
「川崎の煙突男」・昭和初期の労働争議の舞台になった。
「1930年11月16日、争議中の富士瓦斯紡績川崎工場では一人の若者が2メートル四方の赤旗をもって、工場の高さ30数メートルの煙突の頂上に座り込み、要求貫徹まで頑張る非常手段をとった」  神奈川の歴史百話  山川出版社 昭和55年7月刊より

 第一京浜(国道15号)横切れば堀之内。

第二番 瑠璃光山真福寺  真言宗智山派 川崎市川崎区堀之内町11-7

川崎宿成立以前から多摩川河畔に寺地を占める古刹だったが、たびたび氾濫流失を繰り返し、昭和25(1950)年現在の地に。

背後はソープランド街(50店舗 2024年2月現在)
アラビアンナイトをイメージした建物だろうか。
「プロポーション」という名前の店らしい。

昔のことを思いだしながら解脱すべく三番に向かう。再度第一京浜を横切って南東に向かう。

第三番 大嶋山般若院真観寺  真言宗智山派 川崎区大島2-10-16
広い通りから少し入ったところにある静かな寺。

 4番に向かう。鋼管病院の前から製鉄所(JFEスチール東日本製鉄所)を見る。

 この日の朝刊(毎日)に「川崎の高炉きょう休止」の記事。
鉄鋼生産の縮小の結果で京浜地区の全社員約2000名の6割にあたる約1200人
が配置転換や退職などで去る・・・とあった。

NTTドコモ川崎ビル ノードビル(電気通信設備の収容が主たる目的)
貨物線跡地にできた19階、地下3階。写真には2本だけが映っているが
3本の塔が印象的。2002年8月竣工。

第四番 明王山聖無動寺成就院  真言宗智山派 川崎区渡田3-8-1

「玉川八十八ヶ所霊場第四番札所」と「武相不動尊霊場二十八カ所第二十七番札所」
の板。ここでも「東国八十八カ所霊場」の板はなかった。

本堂をはじめに大部分が川崎大空襲(1945年4月15日~16日)で
焼失したため昭和35年ごろ再建された。

五番へは距離的には近いが南武線の踏切を渡る。機関車は「EF210-143桃太郎」
143番 ・・・ 2008年度製造 新鶴見機関区配置

第五番 金澤山福泉寺圓能院  真言宗智山派 川崎区小田1-25-12

「新篇武蔵風土記稿」によれば村上天皇の御代(天暦弐年948年)の開創とありと

八丁畷へは北に向かう 「京町」(横浜市鶴見区)付近
このあたりは住宅地として開発されたが、近くへの工場進出などで
工場地帯の一角となった。

南武線の高架をくぐれば八丁畷の北口。道が右側にカーブしているのはかつて南武線と東海道本線と連絡路線があった。

ここ八丁畷で京急にのり帰京

発心のページ

次に