東国88ヶ所 その5

第15番龍泉寺から第21番普門寺 京急花月總持寺から横浜で

第15番 生麦山聖無動院龍泉寺 高野山真言宗。
南北朝期観応元年(1350年)の開基。横浜市鶴見区では高野山真言宗の唯一の寺院。

古い石像や墓石がある

昔は眼下に海岸が広がっていたのだろうなと思う

業歴がありそうな床屋さん

一到山弥陀院安養寺  浄土宗

鶴見区岸谷3丁目付近  このあたりの地下を相鉄・JR直通線が通る。相模鉄道が「都心直通プロジェクト」としてJR東日本との相互乗り入れ・直通運転を実施するためのルート。
そしてその先に見えるのが首都高速7号線横浜北線の横浜北トンネルの入り口付近。西に(右側)に横浜港北ジャンクションに向かう。

そして生麦事件の起こったところも近い。「生麦」昔このあたりは貝の産地で、生の貝をむく「生むき」が転じたといわれている。

事件と言えば忘れてならないのが昭和38年11月に起こった国鉄鶴見事故。この事故や付近の状況について「神奈川の記憶」(有隣新書)に書かれていた。

京急線の生麦が岸谷で、法政大学女子高校(現法政大学国際高校)の一帯が自治会のエリアで約500戸。当時からの家は50戸あっても、100戸はないだろうという。社宅が多かったという。現場はJRなら鶴見ー新子安の間だが、京急線では鶴見は2駅先。
『これが<生麦事故>と呼ばれていたら、新たに移り住んだ人の意識も違ってたでしょうね』
とも。

首都高速神奈川7号線の下をいきその先を左折を東海道線の踏切を渡る。
その先にも京急の踏切が見えるが右折し細い路地を行く。西側はJR東海道線、東側は京急の線路。

16番へはその路地は続いておらず、一度、京急の踏切を渡り
少しすすみまた次の踏切の先に16番。

16番 密厳山遍照院不動寺   高野山真言宗
境内に踏切があり「踏切寺」とも呼ばれている。

長碌2年(1458年)の開基と伝えられている。

「時速120キロで容赦なく住宅街をぶっ飛ばす快特電車が目の前を走り抜ける快感」
とネットにあるが、「遍路人」からみれば快感とは言い難い。

遠くに丹沢南部の山

浦島町交差点 全国にある浦島伝説の一つの場所

テクノウエイブ100 賃貸オフイス建物 地上18階地下1階 1998年8月竣工

18番へは海岸山良泉寺 真宗大谷派、慶安元年(1650年頃)開基の前を通る。

幕末、幕府は諸外国(アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランス)と修好通商条約を締結(安政五か国条約)。諸外国は領事館を神奈川宿におき寺などに領事館をおいた。
しかし諸外国の領事館に充てられることを快しとしないこの良泉寺の住職、本堂の屋根をはがし、修繕中との口実をつくり幕府の命令を断ったという。


18番 海運山満願院能満寺 高野山真言宗 正安元年、海中から仏像発見、開山したと伝えられる。

京急が後ろを快走する

自撮り

3,4分で19番  この付近「上無川(かみなしがわ)」と呼ばれていた小川があり、それが変化して「かながわ」とな

19番 平尾山東光寺  真言宗智山派 太田道灌(1432-1486)が小机城を攻略後、平尾内膳が太田道灌より与えられた守護仏を元に当寺を創建と伝えられる

京急の駅にも近いがビルに囲まれた寺

20番 神鏡山金蔵院東曼陀羅寺 真言宗智山派 平安末期開山

山門 建立は新しく昭和40年(1965年)

横浜駅方面を見る 建築中のザ・ヨコハマフロントタワー(マンション)

滝の川を渡る

権現山城址。昔は高島台とつながった岡であったが鉄道建設で分断された。
いまは「幸ヶ谷公園」として桜が美しいらしい。

公園から南の青木町に向かって普門寺の屋根を見ながら下る。先のほうに第一京浜が走り、その昔は「神奈川湊」があり日米修好通商条約(安政五か国条約・1858)では開港地に選ばれていた。
が、東海道を行き来する日本人と、入港する外国人の衝突を避けるため、当時村だった「横浜」が開港地に選ばれ、いつの間にか街の中心は「神奈川」から「横浜」に。
「横浜県」もあり得た?
そういえば、県の地銀のトップは「Y銀行」。 バブルの頃「港の見える丘銀行」などと揶揄されていたこともあったな。

真宗高田派甚行寺 普門寺のお隣。1656年開元。江戸時代の横浜港開港時には本堂はフランス公使館に充てられた。

「横濱珈琲」は健在かなと気になり寄ってみた。健在であった。日曜のためか満席でまたの機会とする。

東国88カ所発心の場へ

次の11月3日へ