東国88ヶ所 その16 結願

2024年1月27日  JR鎌倉から藤沢まで
主な経由地 新佐助トンネル 高徳院(鎌倉大仏) 御霊神社 第83番 七里ガ浜東の住宅地
     鎌倉高校前 腰越 第84番 第85番 第86番 目白山下 
     第87番 片瀬山・富士見坂 西鎌倉小学校 第88番 手広交差点 藤沢

スターバックス鎌倉御成町店 2005年オープン
フクちゃんで知られる漫画家の横山隆一の邸宅跡に建てられた。

鎌倉商工会議所  気になる構造
「無柱の平面を持つ2階床のワッフルスラブを4本の柱上にピン構造で支え、1階の外周壁をガラスのカーテンウォールとすることで、スラブが宙に浮かんでいるように見せている」
(文化庁HP)

下から見上げる2階の床は確かに「ワッフル」

ワッフルスラブ 
「上から鉄筋を組み、格子状の梁を設けてコンクリートスラブをつくる工法」
                          (ある設計事務所のHP)
ワッフル waffle 小麦粉・牛乳・卵などを混ぜ合わせて焼いた菓子(ライトハウス英和)
スラブ  slab (木・石などの)平板  登山の本などでも見かける・手がかりがなく
                    登りにくい岩の斜面などをいう

(第88番青蓮寺付近)

こういう道路のときもいうのだろうか

長谷5丁目付近の閑静な住宅地

高徳院(鎌倉大仏)を過ぎ長谷寺方面に向かう途中

御霊神社に向かう

極楽寺トンネルから出てきた江ノ電・鎌倉行(下り)
江ノ電は藤沢行きが上り

第83番 普明山成就院 真言宗大覚寺派 三代執権北条泰時が1219年建立
右は極楽寺の切通し。
作家臼井吉見の名作「安曇野」にも出てくるらしい。
ここに伝わる木造文覚は明治時代の「日本のロダン」と称された彫刻家萩原碌山の作品
大きな影響を与えたとされる。

材木座海岸 遠くに光明寺、その背後・上に鎌倉一中の体育館の建物が見える

サーファーのためのウエットスーツの店 修繕ともなるとミシンも違う

極楽寺の裏側、稲村ケ崎小学校を抜け、折れ曲がった道を行く。
月影地蔵堂  昔、阿仏尼の屋敷跡と言われるが今は等身大の木造地蔵菩薩立像が一体安置されているだけという

比較的新しい墓地の脇を抜け登ると尾根にでる。それを超えると住宅街。尾根に近い家の塀を
リスが走り回っている。リス、逗子の披露山の麓の住宅でもみた。

七里ガ浜東住宅街 1960年頃から西武鉄道グループが開発・分譲 約2500世帯6000人居住。
 西友ほかの商店街が並ぶ中心地。少し先に鎌倉プリンスホテル。
このあたりの住宅、中古価格3千~1億円、中心価格帯6~8千万と某HP(2019年)にあった。

七里ガ浜 雲がなければ正面には真っ白な富士山がみえるはず

サーファーと伊豆大島

サーフボード用の自転車キャリア

スラムダンクの聖地  鎌倉高校前 多くの若い人 中国人や韓国人の姿も、むしろ日本人
          より多いかも

第八十四番 龍護山満福寺  真言宗大覚寺派

「ここ満福寺は、讒言を受けた源義経が兄の頼朝との和解のため、鎌倉に入るべく、一時宿所とし、兄への手紙を書いた寺である。満福寺が相模国腰越にあったため、その手紙は
腰越状」と呼ばれる。(寺のHP)

が結局、義経は鎌倉入りを許されず京都へ引き返した。
門前払いと言えば思い出す、時は昭和の末
総理の座を失いながらも自民党の3分の1の勢力を背景に政界に君臨した「闇将軍」。脳梗塞で倒れた際に反旗を翻した当時の自民党幹事長・竹下登は、年始の挨拶に田中邸を訪れたが門前払いにあった。
その田中邸約800平方メートル、令和6年1月全焼した。

義経にとってはつらい場所だったと思うが、海の近くの明るい雰囲気の寺だ。

このあたりはしらすや地魚を食べさせる店が多い

小動神社(こゆるぎじんじゃ) 
 文治年間(1185~1189)の源平合戦の際、佐々木盛綱が近江の八王子宮を
 勧請したものとの伝え

第八十五番 小動山松岩院浄泉寺  真言宗大覚寺派 創建年代不詳

江ノ電の併用軌道区間 ここ(腰越)から龍口寺交差点まで
 軌道敷内はあくまで路面電車優先

江ノ電と別れ、神戸川(ごうどがわ)=鎌倉山付近に始まり約2・5キロの鎌倉では6番目に長い川、に沿って歩く。

第八六番 加持山宝善院  真宗大覚寺派 泰澄山瑠璃光寺というもう一つの山号寺号をもつ
 天平神護年間(765-766年)の開山と言われるが真偽不明。かつては5つの梵鐘があったが金属回収令(昭和18年)で供出、現存しない。

「東国新四国第八十六番霊場寶善院・小田急沿線武相観世音第三十二番加持~(字不明)」
と彫られた石碑。小田急~ということはこの碑、そんなに古くはないのか。

でもこういうしっかりした碑があると嬉しい。第一番川崎太師から歩いてきて、立派な碑が数多く見たような気がする。

青蓮寺の四月の法要には、宝善院の前を通るのが本道であるとされていたという。

86番宝善院を後にして坂道を登ってゆけば湘南モノレールの目白山駅近くにでる。
1970年3月開業。三菱電機の技術が使われたとネットにはある。鎌倉には三菱電機の工場がある。

丹沢方面 大山三峰か丹沢三峰か

第八十七番 寶盛山薬師院密蔵寺  真言宗大覚寺派

女優小暮美千代が昭和30年に植樹

片瀬山住宅地 1950年代ゴルフ場が開設されたが長続きせず跡地に1967年~1977年にかけて三井不動産が開発。
良好な住宅環境だが坂が多くアクセスがきつそう

大山を見る。手前の丘陵、高層建物は藤沢市大庭地区の湘南ライフタウン
地図で見れば15階の建物

富士見坂(片瀬山5丁目) 各地に富士見坂という場所は多いが自分が行ったところではこれほど雄大な眺望はない

片瀬山から西鎌倉4丁目、2丁目を東に向かう。県道304号腰越大船線をいけば第88番

 このあたりは谷戸坂の切通とか旧鎌倉街道があったが、県道の拡幅や住宅開発で大きく変貌。前にみえるトンネルも今は個人のアパート専用らしいが、かつては参道だったらしい。自動車道は県道で昭和32年に自衛隊の協力でつくられた。もともとは青蓮寺の境内を崩してつくったものとサイトには書かれていた。

着きました
第88番飯盛山仁王院青蓮寺 高野山真言宗 通称鎖大師
弘仁10年(819)空海が開山。関東檀林三十四院の一つ。
東国八十八ヶ所結願札所 関東八十八ヶ所第五十九番札所・相州二十一ケ所第十九番札所

結願の地までたどりついたが解脱は・・・

青蓮寺を出て藤沢に向かう。北に向かい手広交差点経由で行くのだが地図(2・5万図)を見ると一つ先の道、水色の破線が表示、「横須賀水道」とあった。先日と通った「水道路」(鎌倉市材木座)が続いているのだろうと思いを行ってみた。当然、水道管が見えるものではないが藤沢方面に向かいその破線が柏尾川を横切るところにでる。
 ここで「水道管」をはじめてみる。「横須賀市水道局」の表示。意外に細い。

このルート2015年2月に廃止となっておりいずれはこの「水道管」は撤去されるのだろうか。

境川と支流の柏尾川の合流地点 
境川 町田市の最高峰・草戸山の北東面に源流をもつ延長52キロの二級河川。
かつては蛇行が激しくたびたびのため河川工事を進めてきた。そのため東京都と神奈川県の境である橋本(相模原市)付近では旧水路に沿って定めた市境(県境)の調整が進まないため
多くの「川向こうの飛び地」が生じていたがだいぶ解消(行政境界変更事業)が進んだ。

柏尾川 横浜市戸塚区周辺

ここから小田急藤沢までは近い。小田急で帰京。

この日の前後、元過激派で指名手配を受けていた男性、警察の事情聴取をうけながら病に倒れ
息を引き取った。約50年もの間、偽名で逃亡生活つづけてきた人生。
藤沢で工務店につとめ住んでいたのもこの付近らしい。
年齢もほぼ同世代。その男性、人生を振り返ってどう思ったのだろうか。

合掌

東国八八ヵ所発心の地