2024年11月3日
越生から梅林を経由、17番慈眼坊(多武峰神社) 18番慈光寺 八高線明覚まで


快晴で越生駅前には多くのハイカーが

越生町和田横丁碑
「越辺川を隔てた隣村和田村(現大字西和田)への道が通じていたことから、こう呼ばれてきた。大正から昭和初期の一時期、公衆浴場があったことから、「銭湯横町(せんとよこちょう)」と呼ばれたこともあった。『新編武蔵風土記稿』(文政13年〈1830〉成立)「和田村」の項には、「川幅二十間、平常は僅かに二三間許、冬より春に至ては板橋を架して往来に便す」とある。また、明治2年(1869)の「今市村絵図」にも橋が描かれており、渡河地点だったことが知れる。
この界隈が、「越生の今市」と呼ばれた江戸時代からの市街地の中心で、明治30年代の最盛期には、絹、織物関係業者など大小の商家が軒を連ね、さながら小都会の趣きを呈していた。現在も残る幕末から明治にかけての建造物が、かつての繁栄を偲ばせている」
(越生町のHPから)

建設業者の遊びこころ





越辺川の支流上殿川に沿って行くと上谷という所過ぎればときかわ町にはいり、
登り返すと大附という山上集落・・・ミカン狩りもでき観光スポット



弓立山登山口、神社やゴルフ場のクラブハウスをみて進む。やがて都幾川の支流氷川
に向かって道は下る。


それにしても最近、各地で熊の出没のニュースが多い


先にこれから第17番慈眼坊に向かう登り路が見える

正面が多武峰神社のある山


第十七番慈眼坊 廃仏毀釈によって明治2年廃寺になっている。

多武峰神社

全長寺の屋根をみて急な坂道を下る



「埼玉県ときがわ町の険しい山道を抜けると現れる、鎌倉期の1240年ごろに設立された「全長寺」。同寺の住職を夫に持つ、森田恵子さん(64)は5年前から寺の本堂で季節の野菜を使った「山姥(やまんば)カレー」を提供している」・・・ネットの記事より

地図によるとこのあたり馬生となっている



第十八番慈光寺 名刹であるが前に来たことがあるので門で挨拶だけして明覚にむかう。
(ここの本堂は20分ぐらい歩いて登ったところにあるが、延々と歩いてきて疲れ向かう
余裕がなかった・・・県でも有数の名刹であっても)




このあたりは木材の産地 「ときがわ材」
県道わきにある三角点(標高124.7メートル)。県道わきのそれも低いところ・・・
こういう位置の三角点は珍しい

明覚駅に着く頃は日も落ちて
