武蔵国88ヶ所 その5

武蔵国八十八ヶ所  2022年12月10日

33番金剛院から34番普慶院   東武北越谷からさいたま高速鉄道浦和美園までを歩く

越谷飛行場、コープ配送センター、パンメーカーそして縫製工場などについて知る

 

北越谷駅から西に向かう。いかにも新しい街の駅前といった印象。15分歩くと元荒川神明橋という古い鉄橋(1970年竣工)で渡る。元荒川にはトラス橋は2基のみでその一つ。道幅に比較し交通量が多いためか歩行者・自転車専用橋が横にある(1992年竣工)。

元荒川 熊谷市久下を起点にして越谷市中島で中川に。全長60.7キロの一級河川

草加バイパスを横切り西中。地図にある校門横の水準点を確認。学校だけに管理もしっかりされているようだ。2万5千図をみると学校に置かれている三角点や水準点は多い。最近は学校に立ち入るのは注意が必要で学校長の許可が必要と書かれている。

4等三角点は現在でも市町村等が国土調査(地籍調査)を実施するために必要な基準点として設置。

西中の先を右に曲がる。南荻島とか砂原の地名。

このあたりは終戦間際、陸軍越谷飛行場があったところ。建設はされたものの、使用されないまま終戦を迎えた。親和飛行場とも論田飛行場ともいう。昭和19年6月からの突貫工事で翌年
8月に完成。しかし水田を埋めてつくったため離着陸には向かず完成後は不時着機一機が着陸しただけで、一度も使われなかったという(ここの出土品は航空自衛隊熊谷基地内の教育参考館に展示されているとのこと)。
 翌年10月から(敗戦後)21年1月まで進駐軍が駐留。付近に多く生息していた白小鳩は進駐軍の銃による乱獲で絶滅の危機に瀕したという。

 しらこばと水城公園から南に延びる道路。かつての滑走路跡。

埼玉スタジアムは遠くない

パルシステム協同組合連合会(東京大久保・1都12県の事業)の加盟組織である生活協同組合(パルシステム埼玉(蕨市))をみて北に向かう。
パルシステムの配送センター・20年前の地図では「内田製作所」という工場であった。
12月2日31番を訪れたときに歩いた越谷市野島を行く。その時地図にある三角点を再度、探してみたが見つからず。ここはさいたま市岩槻区との境。33番はすぐ。

33番 金龍山金剛院   真言宗豊山派。さいたま市岩槻区末田1899
創建年代不詳。l金剛力士像はさいたま市指定有形文化財。仁王門は第5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院が寄進したもの。

創建年代は不明だが室町時代には存在していたらしい。豊山長谷寺能化尊慶を輩出。
仁王門は桂昌院(徳川綱吉母)。能化(ノウカ)とは師の僧。対して僧侶の弟子を所化(ショケ)という。境内にはえのきの古木や杉の巨木がある。

 ここは武蔵国88ヶ所のコースでも一番北の位置。ウイキペディアによれば金剛院は
北緯35度55分40秒2
34番普慶院は北緯35度55分42秒2
とわずかながら普慶院が北より。
 ところでこの差2秒とは何メートルぐらい、そして寺の位置の基準とはどこなのか
境内のどこなのか、本尊の位置なのか、はたまた門柱の位置なのかと疑問をもった。

とにかく武蔵国88ヶ所の最北端、西に向かう。

県道214号線を行けば永代橋、末田須賀堰。約400年前に作られ現在のものは1993年完成。ここから末田用水と須賀陽水が取水。とは水深や流量の調整のため、河川の途中などに設けられる構造物。

末田用水の碑を右手にみて県道を左折。

伊藤製パンの本社工場。1920年東京墨田区で創業。埼玉、東京そして神奈川で営業展開している中堅のパンメーカー。

その先は水田が広がり名もなき用水路を横切る。  

水道仕切り弁小型蓋

34番 法亀山無量寺普慶院  真言宗豊山派。さいたま市岩槻区黒谷1292
武蔵国88ヶ所の最北端に位置する。

創建年代等は不詳ながら、黒谷にあった金剛院末寺3ヶ寺のうちの一寺で、寛正4年(1463)に岩槻城内より移転してきたと伝えられている。当寺の古文書に「享保四年(1719年)鋳造の梵鐘」の記録があることから、江戸時代中期には既に存在していたものと推測される。当寺は久しく無住(住職不在)の時期が続いていたが、1914年(大正3年)より住職が着任するようになり、徐々に復興していった。

付近は市街地からは少し遠いが静かな所だ。

 次の35番は川口市峯にあり直線距離にして12キロ。今日はここまで。浦和美園に向かう。県道214号を南にくだる。八幡神社がありその横に縫製メーカーの「花菱」の工場跡があった。30年ぐらい前にここに背広を作りに来たことがある。工場直営のため割安と連れてきてもらったのだ。

「花菱」 昭和10年(1935)創業。戦後はオーダーメイドによる紳士服の製造を開始。岩槻工場を中心として国内5カ所に生産拠点を置き、紳士服・婦人服等の縫製加工を手掛けていた。全国に展開する直営店舗ならびにフランチャイズ店での販売に加え、大手百貨店や紳士服専門店などにも販路を築き、ピーク時の平成3年2月期には約141億2200万円の売上高をあげていた。大手量販店の進出、低価格路線の業界で事業環境悪化。
 事態打開のため25年3月25日、会社分割によりフェニックス・キャピタル・パートナーズ・フォーティーン(株)さいたま市岩槻区、野中雅彦社長)を設立し同年6月、花菱縫製(株)に商号変更。7月1日には当社の商号を(株)第一繊維に変更するとともに、事業を新会社の花菱縫製(株)に継承し、当社は25年11月30日、株主総会の決議により解散していた。

そして近年、オフィスウエアのカジュアル化や新型コロナウイルス感染症の影響による在宅勤務の定着等に起因するスーツ離れが急加速しており、花菱を含むスーツ業界全体が厳しい局面。そのような状況においても、「HANABISHI」ブランドの高品質オーダースーツを既存18店舗にて提供し続けるために、今般、花菱縫製において固定費負担の重い自社工場を全て閉鎖し、2022年2月、国内縫製において歴史と実績を誇る御幸毛織に生産を委託することにした。(東京商工リサーチの倒産情報、三井松島ホールディングス(株)のIR情報から)

 夕日を見、笹久保新田や高畠の地名を確認しながら浦和美園に向かう。

このあたり何年か前、「武州鉄道」廃線跡を追って歩いたところだ。

「埼玉スタジアム2002公園」プレートをみれば駅は遠くない。

そうかこのスタジアムもできてから20年経つのか。

12月24日に続く

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