7日目 2026・1・28
西武新宿線沼袋から。西武新宿線の地下化工事の真っ最中。沼袋駅は追い越し線設置のため工事も大がかりのようす。昭和58年(1988)までは島式ホーム1面2線+追い越し線2線。以後相対式ホーム2面2線+追い越し線2線に変更。島式時代の光景、いまだに目に浮かぶ。この地下化工事、当初2020年度完了の予定であったが、用地買収の遅れやトンネル掘削計画の見直しで2033年完成・・・13年の遅れと。

駅、北口から徒歩2,3分のところにあるコーヒーショップ猫丸も時折訪れたみせ。それから居酒屋「奥様公認の店・大衆酒場萬両」も懐かしい。昭和35年創業。吉田類さんも訪れたことがあるらしい。
そんなことを思い、考えながら北に向かうと禅定院。

第48番 瑠璃光山 禅定院 薬王寺 真言宗豊山派
真言宗豊山派 南北朝時代の中期、貞治元年(1362)、法印恵尊()ホウインエソン)の開創と伝えられる 豊島霊場88カ所第48番
旧上沼袋村の旧家伊藤氏の菩提寺であり、伊藤寺とも呼ばれていた。(「中野区寺院案内」より) 牡丹がきれい

広い敷地の明治寺の中をを通っていく

第41番 十善山 密蔵院 真言宗御室派
当寺は北条氏直の持仏、将軍地蔵を本尊とし小田原城内に創建された。後、慶長16年に江戸矢の倉に方30間を拝領し、住職法印恵誉上人は本尊・将軍地蔵を捧持して移り、殿堂を結集した。

その後、正保元年に浅草寺町に土地を拝領して移転した。以来、御室法親王の隠室となり、代々仁和寺門跡に、直属していたが、時とともに衰退していった。
明治36年に松田密信僧正が当寺に住職されると、寺運の復興に尽力され、墓地を現在地に移し、一意精進されていたが、関東大震災で堂宇が全焼した。間もなく壇信徒の協力で復興し、墓地には管理所として葬祭場、客殿なども完備し、寺運ようやく盛昌となった。
昭和に入り第二次大戦の空襲により、浅草の堂宇、墓地管理所ともに再び全焼し、この時、寺宝・寺什のすべても烏有に帰してしまったが、昭和25年には現在地に本堂を再建し、現在に至っている。
訪問時、お寺の住職に真言宗御室派について説明を受ける・・・感じのいい人だった
真言宗御室派・・・横浜金澤八景の付近にいくつかあったことを思いだす。都内の御室派はここと湯島の圓満寺(32番)だけと。
続いて58番光徳院に向かうつもりだったが暗くなったので東亜学園の前をとおり新井薬師駅に。




