未成線長倉線跡

真岡線茂木駅から烏山線烏山までを歩く   2022・5・28
歩行距離 22.26キロ

長倉線
大正時代から昭和にかけ水戸と宇都宮を結ぶ鉄道網構想があった。需要な港湾施設があった日立や水戸と内陸部を結ぶためのもの。真岡線と宇都宮を結ぶルートや茨城鉄道との接続を目指した。長倉線もその一環。
 長倉線の工事開始は1937年。しかし太平洋戦争の戦線拡大による資材不足で建設は凍結、敷設されていたレールも剥がされてしまう。
 戦後は自動車交通が発達、茂木~長倉~御前山間に国鉄バスが開通。
しかし付近の公共交通は退潮、バスは減便。1981年3月国鉄再建法が施行。
ここに夢は終わった。
1987年頃常野線期成同盟は解散。旧国鉄が確保していた用地は1970年頃から順次地元に払い下げられて行った。
「鉄道未成線を歩く」(JTB・2002刊)に詳しい。

トンネル 反対側の出口も見え通り抜けできそうだが、内壁崩壊・危険の注意書きあり。
横の山道を登り反対側へ。

いかにも線路跡にふさわしい築堤でいいところだ

 未成線跡は東に向かって続くが、ここで北に向かい烏山をめざす

まず那珂川を横切る

戦時中、この那珂川を跨ぐ橋梁工事のための鋼材が準備できず長倉線が建設中止のきっかけになった。

男体山あたりか

国見峠 日野正平さんも「とうちゃこ・心の旅」で訪れたとのこと(2015・6・12)

「お手紙をくれた香澄さんが「初めて見る自然の美しさに感動した」という国見峠のてっぺんを目指す旅。まずは宇都宮駅から烏山駅まで輪行。そこからチャリオと約11km先の国見峠を目指します。道のりは、過酷そのもの。何度も休憩しながら進みます。「今までで一番きつい」と正平さん。それでも、温かい地元の人に助けてもらい何とか目的地へ。ほっとして峠からの景色を眺めていると、お手紙をくれた香澄さんとまさかの遭遇。香澄さんも思わず「本物?」とただただ呆然。最後は、香澄さんに隣に座ってもらいお手紙を読む正平さんでした」
NHKのHPから

 国見峠から下ってきた道(左)を振り返る。
正平さんたちはここを登って行ったに違いない。たしかにきつい。

大きく変身した烏山駅 駅舎の向こう側を見たとき烏山線も電化されたと思った。
が、烏山線は非電化区間とされて烏山駅構内だけが電化区間とWPには書いてある。 

旧駅舎 2008・8・8

何より変わったのが列車。走っていたディーゼルカーは退役しEV-E301系電車が走る。
一般型直流用蓄電池駆動電車であり「ACCUM」(アキュム)の愛称を持つ。

屋根上に集電装置(パンタグラフ)を持つVVVFインバータ制御の電車に走行用のリチウムイオン電池を搭載し、架線のない区間でのモーターによる走行を可能にした営業用蓄電池駆動電車である。愛称の「ACCUM」も蓄電池を表す英語「Accumulator」から採られている。

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