武州八十八カ所 その3

第七番観音寺~第九番山本坊

川角駅の南側改札口・・2023年11月設置で新しい。川角駅南側には複数の大学などがあり
混雑時には学生と車両の接触事故が発生しており長年の懸案事項だった。TV「噂の東京マガジン」でも取り上げられていた。

城西大学  1965年創立。付近には明海大学や日本医科学だなどがある。

高麗川の向こうに大学のキャンパス

 遠くに見える城西大学などのキャンパスを望遠で

「ハチ」とか「まむし」・・・熊よりは

「四日市場は森戸の西に接し、古四の日に市を開きし故四日市場の名ありと云ふ。鎌倉街道は其東方を走れり。人家は現今東西に並び、江戸時代には越生及毛呂地方より川越又は新河岸地方に赴く街道に当りしものゝ如し。小字に曽て玄蕃分及鳥居戸ありき。前者は久米玄蕃の居りし処にや。久米氏後北条に属す。役帳に見之たり。後者は森戸国渭地祗社(旧熊野)の鳥居ありし処なりと云ふ。小鹿野氏は甲斐国より来れる村の旧家なりと云ふ。支流甚だ多し」

第七番 世音山観音寺    真言宗智山派
 戦国武士であった旧家小鹿野氏の先祖が秩父郡小鹿野村よりここに移住し、
大永年中(1521~1527)千手観音を本尊として観音堂を建立したと伝えられている。

すぐそばを東武越生線がはしる

観音寺から東に向かうと西大家駅。その北側に国渭地祇神社・・・珍しい名前だと思う。
2・5万図には三角点が表示されているが見つからなかった。

東京国際大学総合グランドの横をとおり高麗川を渡る。

「市場神社」
このあたりは鎌倉街道上道が走る。

鎌倉街道遺構

社会福祉法人育心会の施設建物の北側、やぶ蚊を追い払いながら西に向かう
「社会福祉法人 育心会は、福祉事業に携わって70年余歳月が経ちました。
当時、知的障害児施設のなかった時代に、埼玉県からの要請を受け、
「精神薄弱児施設 育心寮」を開設して事業を開始しました。現在、救護施設・特別養護老人ホーム・障害者支援施設6施設の計8施設と、訪問介護事業・居宅介護支援事業・通所介護事業、診療所、及び関連・付随部署を経営・運営しています」
(法人のHPから)

「脱穀機」  見るのは何年ぶりだろう

第八番 南蔵寺  現存しない
明治初年の廃仏毀釈により廃寺となった。宝篋印塔などの遺物はここ川角八幡社の
境内に移された。

「芭蕉の句碑」

当初10番龍台寺にまで足を運ぶ予定であったが雨がぽつりときたので東毛呂へ向かう

10月13日に続く

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