武蔵国88ヶ所 その6

武蔵国八十八ヶ所  2022年12月24日35番から37番・埼玉高速鉄道浦和美園から東武線谷塚までを歩く。大宮台地とか貝塚について学ぶ。

 浦和美園から35番新光寺(川口市峯)まで直線距離で約9キロ。ちょっとした距離である。地理学的に言うと大宮台地(北足立台地)の片柳支台というところを南下。東は綾瀬川、
西側は芝川が流れる。埼玉高速鉄道やJR武蔵野線が通るまでは広大な原野が広がっていたのだろう。そして昔は旧東京湾までが入り込み貝塚が点在。最初はなんでこんな内陸まで、貝塚があるの?と不思議だったが地理や歴史を学べば納得。

国土地理院地図  36番は場所不明瞭だったため後日、訪れた。
(この地図もそうだが、やや不鮮明=国土地理院の地図を加工、画像として返還、ペイントで加工をしたものだがもう少し工夫の余地がありそう)

 浦和美園の駅南側には巨大なイオンのショッピングモールがある。
台地の上を行けば筑波山も見える。

貝殻坂 中川低地から大宮台地へ上がる坂。付近には大門貝塚とか貝殻坂貝塚とかがある。
「日光御成街道」を南に進んでゆく。

諏訪神社。地図に三角点記号があったので立ち寄ったが、見つからなかった。

いかにも開発されたばかりという直線的道路が続く


日光御成街道から少し西に外れたところ。地図にあった三角点記号は見つからず。
この付近、行衛(ぎょえ)村と称し寛永10年(1633)に旧北原村に吸収合併と。
「吸収合併」・・・いつの時代にも。

北原台2-5の交差点 遠くには秩父の山。この広い道、新しいせいか
地図には名前が載っていない。

三仏寺 浄土宗   「兵戈無用」
兵戈  へいか・戦争   

西福寺
真言宗豊山派 「中興の僧鏡胤(きょういん)が1690(元禄3)年に観音堂を再建したのちに西国・坂東・秩父の札所観音を勧請し百観音と名付けた。以来参詣者が急増。三重塔(県文化財)は高さ23メートル、3代将軍家光の長女千代姫が奉建」(埼玉県の歴史散歩)

さらに南東にすすむ。このあたりの道は「赤山街道大宮道脇道」と地図にある。
近くを「東京外かく環状道路」、通称「東京外環」が通る。
漢字で書くと「外郭」だが「郭」は表外漢字・人名漢字でもないので「かく」と表記しているらしい故。「くるわ」・・遊里とか花柳界という意味があるからは関係なさそう。

東京外環を横切りしばらく行くとのんびりしたところで、氷川神社がる。起伏の多い
安行台地の中心。多様な樹木の栽培に適し消費地「江戸」に近い。

安行中原の少し変わった感じの建物。市の支所らしい。

安行小学校の前を左折し進めば新郷若宮公園。縄文時代後期の貝塚(県史跡)。
三つの貝塚が馬蹄形に点在。

35番は近いのだが、このあたり坂の絡んだ細い道があり、日も短く少し方向感覚が
鈍くなり87番の密蔵院に入ってしまった。赤堀用水を横切ったりしながら軌道修正。
このあたり(川口市峯)の道は入り組んでおり、逆に言えば面白い。

35番 御幣山新光寺  川口市峯1319
 当初は真言宗の寺院であったが、1641年(寛永18年)に慈眼大師天界によって天台宗に。
「峯」の地名のとおり、小高い場所で南側の眺めがよい。

 隣の八幡神社境内からスカイツリー

36番 薬師堂  草加市高砂(廃堂・住所不明のためスルー)
 南東に進む。川口市榛松付近。工場が多い。夕日に映える鉄塔が美しい。

37番 天命山正源寺  真言宗智山派・川口市新堀934
 慶長15年(1610)2月、法印宥慶開創で中興開山は源雅と伝わっている。

 横に喜田屋、本店は東京足立区、のお店がありどら焼き「六人衆」を土産に
かう。美味しい。太陽はつるべ落とし。

柳島治水緑地 辰井川の水量調節。「越流堤によるピークカット方式」と。
はじめて聞く用語だがわかる。

谷塚駅西口着

 

12月30日につづく

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