1971年10月3日~5日 単独
広河原 北岳 北岳山荘(泊) 間ノ岳 農鳥岳 大門沢下降点 奈良田温泉(泊)
1971年という年 3月に就職が内定、7月に会計士試験受験、でも失敗 12月に日商簿記検定一級、これは合格といろいろあった年。来年、サラリーマンともなれば山もそんなに気軽に行けるものではないだろうとも思い白峰三山を計画。広河原から2泊3日というポピュラーな計画をたてた。
2014・4・12 中央本線電車の窓から白峰三山、右に鳳凰三山
2016・4・8 中央高速を走るバスからの北岳
夜行で甲府、朝一番のバスで広河原へ。広河原につくと朝日に映える北岳が見えた。どこか女子大学の山岳部のグループが準備体操をしていた。その光景を眺めながら登り始める。
大樺沢に沿って登り二俣で沢にわかれそこからの急登はきつかった。肩の小屋についてまじかに北岳を見たときは、登ってきたんだと実感。
山頂に足跡を残し北岳山荘に。大きな山小屋である。ここが一日目の宿泊。
翌日は大門沢小屋までという計画で北岳山荘を出発。
そこから3000メートルの稜線、日本一高いプロムナード。
間ノ岳で このシャッター、誰かに押してもらったのだろう。
ここからも農鳥岳へと3000メートルの稜線漫歩がつづく。
富士山をはじめとする大展望のコースだ
農鳥岳頂上で 振り返ると北岳や鳳凰三山。農鳥岳、山名は東側に現れる雪形に由来している。6月中旬に首を南に向けた白鳥の姿が甲府盆地から望見されこの雪形をみて農家は田植えを始めた。
農鳥岳をすぎて大門沢下降点。当時、どんな標識があったか記憶にはないが、今、ネットで見ると鐘を吊り下げた鉄骨製のようだ。ここから急激に下る。登りにしたらつらいだろうなと思う急坂。下りもきつい、膝が笑いだしそうになる。
途中、沢の音を聞きながら岩か倒木かに坐って昼食にする。天気は良いのだが前後に人はなく、一人でポツンと坐っているとなにか不安な気がしてきた。背後から・・・と。
そうそうに昼食をすませ歩き出す。
大門沢小屋につく。コースタイムは下降点から2時間半。
時刻は3時前後だった。まだ歩けないことはないなと思い急きょ予定変更。ここから奈良田温泉まで約3時間。奈良田まであるくことにした。北岳山荘から奈良田までガイドブックのコースタイムでは約11時間。若かったとはいえよく歩いたものだ。
奈良田に着き「塩泉館」という旅館に入る。この旅館の名前、箸袋を本に挟んであってのだ。
その後、閉じられいまはないようだ。
旅館で、ゆったりと温泉に入り、白峰三山の縦走を終えたという満足感に浸りながらの食事は最高であった。
翌日は、バスで国鉄身延線の駅(下部温泉だったかな)へ、そこから東海道本線の富士駅へ。駅前のボーリング場で1ゲーム200点以上出たらやめようとの予定で一人でゲームに。
が、200点に達することなく20ゲームぐらいしたところでやめて帰京した。
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