第26番在田山香象院から第37番日名山大聖院
相鉄天王町から京急日ノ出町まで
主な経由地 保土ヶ谷1丁目交差点・藤棚町交差点・霞橋・三春台・久保山墓地南側
どんどん商店街・黄金町
第26番 普賢山香象院 (こうぞういん) 高野山真言宗 創建年代不詳
保土ヶ谷で最大の寺子屋があり、明治6年保土ヶ谷小学校の分校となった。
門柱横におおきなお釜があるが由来は良くわからない。境内には「名前に偽りなく象の像がある」と。
歩いていてこういう立派な『東国新四国~』という石柱をみると嬉しくなる。
第27番 医王山延壽院遍照寺 創建年代不詳。
四国88ヶ所の結願は「医王山遍照光院大窪寺」 関係がありそうでもある。
明治19年創業の老舗メーカー きな粉かそば粉を造っている
第28番 西方山安樹院大仙寺 高野山真言宗
天禄年間(970~973年)に創建。応永年間(1394~1428)に鎮淳法印(応永28年寂)が再興。
東海道本線が走る
保土ヶ谷駅東口ロータリー UR保土ヶ谷駅前ハイツ1982年築
急な坂が多い
第29番羯摩山密藏院円福寺 高野山真言宗
僧真元が開山となり永享2年(1430)に創建したとも善譽法印が(享禄4年1531年寂)が開山したとも
渋い階段
第30番 金巌山櫻壽院安楽寺 高野山真言宗
僧弘弁(天文4年1535年寂)が開山となり創建したと
藤棚商店街 VIew 戦後の創業。2005年、4代目マスターが承継、現屋号に。
ハンバーグが美味しかった。「横濱の喫茶店」(ピア・2023年10月刊)に紹介されていた。
遠くにランドマークが
明治初期のころ津久井の水源から野毛山浄水場まで水道路があった
「第七有隣堂」 関東大震災後、有隣堂の番頭格であった人のほかにのれん分けがされたが
今は本社を除いては「第七」しかくそれもないそうです。かつては第一から第九まであった。
西区西戸部あたり・・・坂道と路地の組み合わせは歩いていて楽しい
第31番 法亀山智福院願成寺 高野山真言宗 天平年間(8世紀)にこの地を通りかかった行基が水を探しているとカメが這い出し、路傍を掘ると当地を法亀山と称し草庵を創ったのが始まりという。明治までは杉山神社の別当寺としてくらやみ坂の下(現・西区役所付近)にあり、横浜開港後に新設された神奈川奉行所の宿舎になったという。
シネマノヴエチェント 2015年開館。客席28席の全国でも最小規模の映画館。オーナーの箕輪克彦さんは2013年まで川崎市麻生区でザ・グリソムギャングというシアタースペースを併設したシネマパークを経営。ここの座席は閉館した吉祥寺バウスシアターのシネマシートを使用している。
青春小説の舞台になりそうなアパート
県道81号・・・国道16号のショートカットの役割か
遠くに房総半島・・・だと思う
第32番 医王山東光寺 高野山真言宗 創建年代不詳
上大岡付近のタワーマンションを見る
新坂
第33番 東光山医王寺蓮花院 高野山真言宗
第34番 東医山薬王寺 高野山真言宗
人懐っこいネコ
第三十五番福智山不動院普門院 高野山真言宗 創建年代不詳
後は関東学院の校舎
藤棚浦舟通(国道16号線)
第三十六番光明山遍照院東福寺 高野山真言宗 創建年13世紀
関東学院中・高等部 横浜バプテスト神学校が起源。
J・コベルという宣教師が1920年来日、ここ関東学院で英語を教えていた。関東大震災で大きな被害を受けると財務担当理事として校舎再建の資金集めをしていた。時を同じくして軍事教練のため将校が配属。査閲にきた師団長が来校した際、黒ネクタイで出迎え。
「日本のために、学校のために、悲しい時として弔意を示した」
学校の廊下には「戦争放棄条約」を掲げ、信仰には社会貢献が大切だと考え貧困者のためのセツルメント運動をも始めていた。
やがてそれらが反政府運動と映り日本
久保山墓地
第三十七番日明山寳泉寺大聖院
秀巌が天文13年(1544)に開山、承応年中(1652-1655)に秀盛法印が再興、昭和28年野毛より当地へ移転
どんどん商店街
「ドンドン商店街とは、京浜急行の南太田駅近く、南太田一丁目と庚台(かのえだい)の間の道沿いに約400mに渡って続く商店街であり、南区に昭和28年(1953年)に設立された。地域に密着し、地元住民に愛されて60年近く経つという歴史があるようだ。
しかし、20年近く前に近くに大型スーパーができてから衰退が始まったといわれ、今ではちょっとさびれた面影が「昭和」の雰囲気を色濃く残している」
(ネットにあった記事から 2010/12付)
大岡川
京急のガード下