2023年11月30日(木)
第38番成田山延命院から第42番地福寺
京急日ノ出町からJR山手まで
主な経由地 野毛・第38番・伊勢佐木町・第39番・中村町・狸坂・第40番・42番
第41番・南京墓地・竹之丸
日ノ出町駅前。このビルができる前は不二家があり2階がレストラン。一度か二度入ったような記憶がある。ネットで見ると平成24年に閉店。
野毛坂。左は市立図書館。右のマンション、立地もよく賃貸にしろ分譲にしろ高そう。
成田山横浜別院の西参道。このあたり戦前から戦中にかけて小さな闇市があったが、空襲で焼失。戦後は旅館街として再興したが今は1,2件がゲストハウスとして営業しているらしい。
新宿の十二社に雰囲気がにている。
曹洞宗万徳寺
いかにここが高いところにあるか。ランドマーク方向を見る。
第三十八番 成田山延命院 真言宗智山派。成田山新勝寺の別院として明治三年開創。
向こうに横浜ランドマークタワーをみる(1993年7月竣工・高さ296メートル)
手前のビル「ちぇるる野毛」(1983年11月竣工、1階から1~2階商業施設、3階駐車施設、4階~9階は住居。かつてはダイエーとかTopos(ダイエー系列のディスカウント)があった。付近には光音座、ちぐさ(ジャズ喫茶)とか三陽(”毛沢東もビックリ”の中華料理店)。
野毛都橋商店街ビル 横浜市登録歴史的建造物として2016年登録。
現在、公益財団法人横浜市歴史資産調査会が所有・管理
「野毛都橋商店街ビルは、戦後に野毛本通りなどの路上で営業していた露店を東京オリンピックまでに撤去したい市の意向を受け、露天商を収容するために1964(昭和39)年に河川沿いの道路上に建設された、軽量鉄骨造2階建ての共同店舗である。
敷地は、都橋から宮川橋までの大岡川沿いの河川上空と道路用地で、建物は、河川の形状に沿って約90mの長さで緩やかなカーブを描いて配置されている。1階の店舗は正面を道路側に向け、2階の店舗は正面を河川側に向けており、両面に正面を向けた特徴的なファサードとなっている。また、道路側は道路に張り出した庇が、河川側はバルコニー状に張り出した2階店舗用の通路がそれぞれ建物の水平感と一体感を強調している。
露天商収容建築として横浜の戦後復興の歴史を伝える貴重な建物であるとともに、現在でも飲食店街として地域に親しまれている建物であり、多くのメディアにも取り上げられている。河川と一体化した弧状の建物は他にはあまり例がなく、野毛地区の特徴的な景観を形成している」(文化庁HPより)。
伊勢佐木町 旧松坂屋横浜店とか有隣堂書店本店が懐かしい。建物は旧松坂屋。
有隣堂書店 明治42年創業。横浜を中心に店舗展開。横浜にいる頃はよく利用した。
ブックカバーの洋紙、緑の四角形を基調にしたデザイン、がよかった。
「チサンホテル横浜伊勢佐木町」
1990年「横浜伊勢佐木町ワシントンホテル」として開業、2021年12月営業終了。
2022年春、”リブランド”して開業。
一時は新型コロナウイルスの隔離療養施設としても利用された。18階建て399室。
現在、外資系企業として日本でもっと多数のホテルを保有している
ソラーレ ホテルズ アンド リゾーツ株式会社が運営。
旧横浜中央電話局長者町分局(NTT東日本長者町ビル)大正14年建築
前にこの路地に小さなコーヒーショップがあった。左は金刀比羅神社。もうすぐ新年の参賀客を向かる準備中のよう。
真金町 落語家の故桂歌丸師匠はこのあたりのご出身。
三吉橋から中村町、平楽方面
第三九番 大慈山瑠璃山玉泉寺 高野山真言宗 天正5年(1577年)開山
”街喫茶” 10年くらい前、入ったことがあるが、いつ頃閉店したのだろうか
狸坂
急な狸坂を登ると開放的な唐沢公園が広がる。地図(2・5万図)には三角点の表示があり探したが見つからず。その代わりに写真のような古い石柱があった。「避病院」と彫られていた。
この公園ができる前はサンタマリアアメリカンスクールがあり、それをさらに遡ると「避病院」の歴史につながるらしい。
避病院 明治時代につくられた日本の伝染病専門病院。その後、伝染病予防法・感染症予防法が制定され名称を変え現在でも重要な役割を担っている。
丹沢方面
蓮池坂 昔、坂の下にハスの花が咲く池があったらしい。
第四〇番 海龍山本泉寺増徳院 大同年間(806~810)創建。高野山真言宗。
もとは元町1丁目(元町プラザの一角)にあり、現在の横浜外国人墓地は境内墓地であった。
1923年関東大震災で全焼。1928年、現在地に再建。
第四二番 地福寺
創建年代等は不詳ながら、増徳院22世佐伯興人僧正が、奈良県にあった当寺を、昭和7年11月当地へ移転。
遠くに根岸競馬場旧跡をみる
平楽あたりは細い路地が入り組む
第四一番 天沼山東漸寺 高野山真言宗 開基文治年間
「寺号を「天沼山」と号す通り、当寺の以前にあった「北方村の天沼」では、とても綺麗な水が湧き出ていました。江戸時代末期の1854年4月に日本に開国を求めにやってきたあのペリー提督も山手の丘を訪れた際、天沼にある「小さな寺」に立ち寄り、お寺でうまい湧水で点てたお茶を飲んで休憩をしたそうです。まさにこの「小さな寺」こそ昔の東漸寺であります」 寺のHPより
南京墓地を見る
南京墓地に隣接するこのあたり、ねじめ正一の『荒地の恋』の舞台でもある。
簑沢入口から旧根岸競馬場
小高い竹之の丸を通ってJR根岸線山手に向かう
次は12月9日