東国88ヶ所 その13

2023年12月28日(木) 晴

第七一番 花翁山慶珊寺から 第七六番此木山宝蔵院
(京急屏風ヶ浦からシーサイドライン海の公園柴口)


主な経由地  磯子区杉田・富岡トンネル・慶珊寺・宝珠院・持明院・京急富岡・
能見台・金沢区西柴・谷津町・薬王寺・称名寺・小柴通り・宝蔵院・海の公園柴口

磯子区森3丁目

いかにも海岸が近い(近かった)という印象

正面の三角屋根は願行寺(浄土宗)。
このアングル「東京墨田区向島2丁目8」付近と似ている。

「取り壊し予定」の張り紙がある建物。

杉田5丁目付近 根岸線。下を京急が走る。

富岡変電所と富岡トンネル  三島由紀夫の「午後の曳航」に出てくる。

「道は青砥の山ぞいに金沢区へ入って行った。午後の冬空を煩瑣(はんさ)な碍子(がいし)と電線の模様で区切る発電所の前をとおって、富岡隧道(トンネル)をくぐり抜けると、右方には山ぞいに京浜急行の線路が走り、左方には丘いっぱいに新らしい明るい分譲地が展(ひら)けていた。」

富岡東3丁目

第七一番 花翁山慶珊寺 真言宗御室派 今まで88ヶ所を歩いてきて初めて聞く派の名前。
古義真言宗に属する。本山は仁和寺(京都市右京区)。

真言宗御室派 大本山 大内山仁和寺(京都)886年光孝天皇の勅願で建立が始まるが翌年崩御。その意思を次の宇多天皇が継ぎ888年に完成。宇多天皇は897年に譲位、出家し仁和寺の初代門跡を務めた。このことから「御室御所」と呼ばれていた。

長洲一二  経済学者。元神奈川県知事。団塊の世代、一度は聞いたことがある名前だと思う。

直木三十五居宅跡の碑。お墓は最初、慶珊寺にあったが生前の
「お墓は海の見える禅宗のお寺に」
という希望で近くの長昌寺に移された。

第72番 知福山宝珠院 真言宗御室派・天文年間(1532~1555)に創建。

お正月を控え、境内には建築業者・・・修復作業?・・の人がいた。

第七十三番 海照山持明院  真言宗御室派 創建年代不詳

「長浜にあったが、鎌倉時代応長元年(1311年)の大津波のために村共々消滅してしまった。この津波では長浜観音だけが流されて、住民では死んだ人があまりいなかった。37年後小柴の海で観音様が漁師の網にかかって引き上げられた。人の命を助けた身代わり地蔵として、信仰が厚く、今は称名寺に祀られている。
 その後、天明年間(1781〜1788年)に当地富岡に移ってきたもので、それ以前の沿革は不詳である。関東大震災で堂宇倒壊したが、昭和3年(1928年)以降に再建された。本尊は大日如来で、脇仏の薬師像は行基作と伝えられている。
 本堂に「東国第73番本尊釈迦如来 まよひぬる六だうしゆじやうをすくはんと たつときやまにいづるしやかてら」と東国札所看板が懸かっている」 ネットの記事から

洒落ていると思う

 富岡東6丁目付近。横須賀街道(国道16号)に沿って南に向かう。

金沢区西柴1丁目  

能見台東の高層マンション群

使われなくなった階段 「トマソン」

超芸術トマソン(ちょうげいじゅつトマソン)とは、赤瀬川原平らの提唱による芸術学上の概念。不動産に付属し、まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物。存在がまるで芸術のようでありながら、その役にたたなさ・非実用において芸術よりももっと芸術らしい物を「超芸術」と呼び、その中でも不動産に属するものをトマソンと呼ぶ。その中には、かつては役に立っていたものもあるし、そもそも作った意図が分からないものもある。 超芸術を超芸術だと思って作る者(作家)はなく、ただ鑑賞する者だけが存在する
(ウイキペディアより)

横浜市と鎌倉市を隔てる”山”が近い。鎌倉が近づいてきた。

西柴4丁目。新興住宅地の南端。正面に称名寺の山を見る。

「けものみち」のような細く急な路を下る

金澤八景方面をみながら坂道を下る。
途中に高照山地蔵院三宝寺(真言宗御室派・薬王寺の別院として昭和50年創建)がある。

第七十四番 三療山薬王寺 真言宗御室派  鎌倉時代前期創建

第七十五番金沢山弥勒院番称名寺  真言律宗 創建は13世紀中頃   

トンネル(柴隧道)を抜けると金沢区柴町。今は海が埋め立てられそちらからアプローチできるが、それまではこの一車線の道・小柴道が唯一のルートだったのではないか。が、この道をいまでもバスが通っている。このバスはもう少し先が終点・・・どこでUターンするの・・・
そのあたりのルポが能町みね子さんの「ほじくりストリートビュー ザ☆フューチャー」
(交通新聞社・2021/12刊)に書かれている。

第七十六番  此木山寶蔵院  真言宗御室派

「伝承によると、鎌倉時代末期、応長元年(1311)に隣村の長浜村で大津波が起こり、長浜千軒と言われた村は一瞬にして海に流されました。海中に流されて漂う村人達は、この寺の公孫樹の木の麓のかがり火を目安に辿りつき、この土地に住み着き、村の名前をお寺の山号の此の木村としました。その後、柴村になりました。以来現在に至るまで、柴村の人々の信仰によって永きにわたりお寺を守ってきました。
そのためか古い形態を残す一村一寺のお寺です。境内からは柴漁港、八景島を眼下に東京湾を見渡せます。また良く手入れされた大輪の牡丹は見ものです。

本尊:大日如来(だいにちにょらい)
創建:鎌倉時代末期       (横浜金沢観光協会のHPより)

柴漁港

金沢シーサイドラインの「海の公園柴口」は近い

2024年1月6日に続く

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