2022年11月19日 東武獨協大学前からJR武蔵野線東川口まで
「獨協大学前」 前の名前は「松原団地」当時、1963年完成、6000戸、18000人の東洋一のマンモス団地。団地と反対側、東に向かう。この駅、周りは大きな変貌を遂げたのであろうが駅東口にあるこの水道栓は見つめていたに違いない。
綾瀬川を渡ると「柴田科学」という会社の前を通る。20年前の地図には「シバソン」工場
の表示。この会社の歴史を見ると勉強になりいろいろなことを知る。
柴田科学(株) 大正11年創業。環境測定器・科学機器製造の老舗。
その沿革の中で柴田ハリオ硝子㈱とかソニーなどとの合弁で
柴田ソニー硝子㈱(ブラウン管製造)などを設立。
「シバソン」の名前の由来が分かったような。
「ハリオ」 玻璃 ガラス、仏教用語として「七宝の一つ・水晶」
と漢和辞典にある。
会社のHPには「ガラスの王様」として名付けたと。
そういえば最近は「ラ王」というネーミングもある。ラーメンの王様by日清食品。
「東京外環自動車道」の下を通り10番。
10番 旧観音寺 草加市八幡町1272
光明山阿弥陀院観音寺と称していたが明治41年恵日山東正寺
(現:恵光山観正院)と合寺。
「真言宗豊山派観正院八幡墓地」の案内板があるだけ。
東に向かうと「県立草加高校」前を過ぎる。
正門前のいかにも昭和テイストな文房具屋がある。
東に久伊豆神社をみて進めばわずかで三覚院。
11番、12番 青柳山三覚院 真言宗豊山派 草加市青柳4-27-12
三覚院は、慶長10年(1605)頃に俊賢法印が妙見山三蔵院と称して開山、明治41年東覚寺を合寺、妙見山薬王寺を移管、三覚院と改称したという。本堂は欅材を豊富に使った豪華な
建物である(草加市教育委員会HP)。格天井板絵は県の文化財。
草加市立川柳小学校と同川柳中学校などの校舎を見ながら北に向かう。このあたり地名で言えば草加市青柳。15分も進めば市境、その先は越谷市川柳。そこには越谷市立川柳小学校がある。青柳とか川柳とか、少しややこしい。
市境の手前、東側に「そうか公園」がある草加市柿木町。中川と八条用水に挟まれる。南に八潮市、東側は吉川市と、三郷市ともわずかな距離だが接している。北側は越谷市レイクタウンに隣接。
この付近、「千疋幹排」という河川が流れているがレイクタウンの造成のため流路が大きく変化した。この「千疋」の地名、東京都中央区日本橋の「千疋屋総本店」の屋号の由来となった所、創業の地でもある。
「1834年(天保5年) 武蔵国埼玉郡千疋郷(現在の埼玉県越谷市東町およびレイクタウンの一部)で大島流槍術の指南をしていた侍・大島弁蔵が江戸・葺屋町(現・日本橋人形町3丁目)に「水菓子安うり処」の看板を掲げ、地名にちなみ“千疋屋”の屋号で果物と野菜類を商う店を構える」とウイキペディアにある。
「千疋屋」令和の今はというと高級フルーツ専門店。
13番 無量山智泉院 真言宗豊山派 越谷市川柳町5-282
開基は天正年間(1573-92)。同じころ麦塚村が開村 。
付近を八条用水、葛西用水、谷古田用水が流れこのお寺の背後・北側に
レイクタウンが広がる。
西へわずかで14番。
14番 威光山成就院 真言宗智山派 越谷市川柳町2-267
元和年間(1615~1624)真言修行者栄誉により創建、約400年の歴史。
15番 遍照山光明院 真言宗豊山派 越谷市蒲生本町2-1-30
古くからあった庵室を僧榮善が一寺として弘治2年(1556)に開山したという。
現在の本堂は江戸時代中期に建てられ昭和43年(1968年)に屋根を銅板に葺き替えている。
16番 慈眼山清蔵院 真言宗智山派 越谷市蒲生本町13-41
創建年代不詳だが僧祐範が開山、僧永智が中興。
17番 金明山宝積寺 真言宗智山派 草加市金明町169
創建年代不詳。南北朝時代の阿弥陀如来像が本尊。
18番 遍照山西光院 真言宗智山派 草加市親善町155
創建年代不詳だが密蔵院住職が中興したと伝えられている。
かつては田んぼの中にあったが戦後の農地改革での宅地化、国道4号線、298号線や東京外環自動車道の開通により景観は激変。ふたつの国道の交差点・親善町交差点に近い。
背後は東京外環自動車道
19番 地蔵堂 蕨市南町 令和5年8月16日訪
18番からは東京外環に沿って少し西に進み伝右川と会うとそれに沿って北西に。
伝右川 寛永5年(1628)綾瀬川右岸を開発するため伊奈家家臣井出伝右衛門により開削された排水路。途中に幸福川(しあわせがわ)という支流があった。
20番 旧永光山万蔵院萬福寺 越谷市新川町1-296
正徳3年建立。明治8年(1875)廃寺となった。
今は県道324号線とJR武蔵野線にはさまれひっそりと墓地だけが残る。
越巻学校開設記念碑がある。
JR東川口に着く頃はすっかり日が暮れて
続きは11月27日