武蔵国88ヶ所 その9

武蔵国八十八ヶ所  2023年1月 13日

44番48番  浦和美園から東浦和

ニュータウンと見沼田んぼ

浦和美園駅 何回来てもつまらない駅前だと思う。このあたりに住む人はイオンのショッピングセンターでことは足りるのだろうけど。

駅付近はさいたま市緑区とシンプルな名前だがそこ昔の地名、下野田、中野田とか南部領辻とかは由緒のあるものが多い。

親鸞の門侶に西念という僧がいたが、野田に寺を営み野田西念と称した。

この寺は建武の争乱(後醍醐天皇の建武政権と足利氏との一連の戦い:1136年)を避けて二手に分かれて野田を離れた。

一つは長野市南堀の長命寺(浄土真宗本願寺派)でありもう一つは古河市の宗願寺(同じ)である。

 

南部領辻 南部氏に縁があるのではないかといわれている。

南部氏 甲斐源氏の出(山梨県北巨摩郡南部町が南部氏の根拠とされる)

で、南北朝時代にあるいはそれ以前に奥州の糠部に移ったとされる武人。

もともと「領家」「辻」「別所」という地名は多く工夫が必要であった。

浦和領別所村(南区別所)

近世においてはまとまった支配者いるわけでもないのに、やたらに「領」ができ、これで埋め尽くされ、微調整を経て江戸時代中期に領は確定。地名と支配者は関係なく、いわば、中世の「郷」に当たる規模の区域がくまなく埋め尽くされたというべきである「さいたま市地名の由来」(幹書房)

緑区の上野田

44番宝蔵寺 さいたま市岩槻区笹久保新田1574

野田の鷺山

45番  阿日山総持院 真言宗智山派 さいたま市南区南部領辻2944
安土桃山時代の天正5年(1577)法印良秀和尚の入寂とのみ伝えられ詳しいことは不明。明治時代に鐘楼門を残して全焼。その後再建。

700株の牡丹の花に囲まれた地蔵菩薩のお寺として知られる。

正面の大きな建物はさいたま市立病院

四六番を後にして南東に進む。このあたりの地名南部領辻という。
近くに曹洞宗古刹の国昌寺がある。

46番 無量山円徳寺  さいたま市緑区下野田429

47番  慈眼山大興寺 さいたま市緑区大門2583

  徳本上人念仏供養塔

48番  福寿山光明院無量寺 真言宗智山派。さいたま市緑区北原1603

   元和元年(1615)、夏の陣で大阪城落城により下向した武士の一党が

この地に入植し専従者とともに源慶法師によってよって開山。旧北原村は日光御成道の宿場町として賑わった「大門宿」の南西に位置。西に見沼通船荷揚げ場、南に御成街道と旧中山道をつなぐ主要道が走ると、そして見沼の田を見下ろし富士の霊峰を遠望するという好立地。そこの村の要として開山された幕府ゆかりの古刹。「埼玉のお寺」(ごま書房) 

見沼田んぼ
JR武蔵野線・・今は沿線は住宅地が多いが、千葉県木更津と神奈川県川崎を結ぶ貨物幹線として昭和48年(1973)開業、のガードの下を通る。。

江戸時代、利根川と荒川は中流域で合流、このあたりは沼や湿地帯が広がっていた。水田地帯にするため東京湾に流れ込んでいた利根川を銚子へ通す利根川東遷、荒川の流れを東京湾にするための荒川西遷。そしてできた「見沼たんぼ」への農業用水を確保するためにできたのが全長約60キロの見沼代用水。

見沼代用水東縁、見沼通船掘をみて東浦和駅に。

続く1月28日

発心の地に還る