2025年1月18 第45番極楽寺から第48番十輪寺


川島町は荒川、入間川および越辺川に囲まれており自然堤防上に街が作られている。
川島町新堀付近

安藤川を渡る

三角点


浅間山
男体山(右)と日光白根

第四五番 法輪山観智院極楽寺


この本堂の建物、最近、建て直したらしい(『幻の武州八十八霊場』の写真と比較する)

46番善福寺に向かう

古い石碑や使われなくなった火の見やぐらを見ながら東に向かう
約2キロの道のり


下八ッ林交差点の北東側にある天神社・三角点・薬師堂


法楽山薬師堂・・・善福寺の奥の院は威徳寺だったが廃寺になりその跡に建つ
第四六番 白雲山沙門院善福寺 真言宗智山派





畑中から 大岳山、御前山から秩父の山が右へ続く
遠山記念館も近い
【寄り道】遠山記念館
川島町出身で日興証券の創始者遠山元一が母のために建てた邸宅とその敷地内の美術館。
1933年(昭和8年)から2年7か月の歳月をかけて完成。昭和11年竣工の建物は
私邸でありながらも国の重要う文化財
第四七番 大御山西福院広徳寺 真言宗豊山派 開基は三保郷出身の三尾谷四郎広徳は
源頼朝の家臣として『平家物語』に登場。

この地方二十六か寺の本山


本堂

大御堂 国指定重要文化財
近くに養竹院(臨済宗) 太田道灌の甥の太田資家が建立
ここから四十八番までは田園地帯を歩く 地図をみると
表、出丸下郷、出丸本、曲師、下狢などの字
第四八番 十輪寺 明治初年に廃寺 大きくない墓地と改修記念碑があるのみだが
この記念碑でその歴史がわかる。

この付近の字「出丸」
古くは「伊豆丸」・・・松平伊豆守信綱の所領だった。川越藩の主。

十輪寺からは下狢のバス停まで県道339号線を歩くのだが道は新しくカーブのない味気な道が続く。

釘無橋に向かう途中。このあたりの字「曲師」
「曲げ物・・・杉などを薄くした板を輪のように曲げて作る器」を作る職人たちが住んでいた場所。
下狢のバス停まについたが次のバスまで2時間以上の開き。

その釘無橋・・・歩道部分工事中につき歩行者・自転車は迂回せよ・・・・・
十輪寺から川越市内神明町まで約7キロを歩かされた。途中、石田の藤宮神社に三角点が
あるはずなのだが確認できなかった。