カメラに興味を持ち始めたのは高校1年のころ。歳が一回り違う従姉妹が我が家に遊びに来るときもっていたのがオリンパスペンDやPENTAX・SV。そのPENTAXは頭(ペンタ部)に露出計を乗せたものの姿に魅せられ、高校2年の時に父に買ってもらった。
初めてケースからだすときの匂い今でも思い出す。そしてその次がPENTAX・SP、露出計内蔵の黒いボディだった。勤め始めてからは一人前の給料をもらっており、カメラは買いやすかった。ミノルタα7000も買ってみた。
その後、MEsuperを経てニコンFM、ニコンFAとニコンに少し浮気。1997年、信州に転勤したの気に中型カメラに興味をもつ。最初はマミヤ6を購入したものの正方形のネガになじめずPENTAX645の中古を買う。カメラは重たかったが、信州では移動は車が主体。マンフロットの三脚を乗せ数多くの伊那谷の風景をフイルムに納めた。伊那では地元企業・伊那食品工業の会長さんが伊那谷を撮りそれをその会社のカレンダーに使っている。そのカレンダーは今でも自宅や長男、長女宅の壁に掛けられている。
そのあとキャノンEOS55、そして2000年代デジカメ時代に。デジカメの最初はキャノンIXY300。記憶媒体はコンパクトフラッシュ。スライドスイッチに不具合でサービスに相談、部品交換不可ということでその継承品700と交換。この700、実に使いやすかった。スタイルも好きだった。
デジタル時代、しばらくはIXY700というコンパクトで十分だろうと思っていた。プリントはせずPCディスプレイで見る限り自分には十分満足だった。
それでも一眼レフという言葉に勝てず、手はじめに中古のPENTAXistDL、標準ズームを中古で。しばらくしてK200Dとタムロン3-135の新品を。
それからPENTAXk200d、k5、k10d、k20dそしてk3Ⅱを。
モノクロ時代から撮りためた伊那谷や大阪です。
伊 那 谷 写真館
大 阪 写 真 館
平成のはじめころ(1990年頃)ペンタックスにトライXなどのモノクロをいれて
大阪の街を歩き撮ったもの。そしてその8年後(信州に伊那にいました)、鹿児島へ
行くとき、立ち寄った懐かく思っていた大阪の街です。