タグ

 急に寒くなりほとんどの人はコートを着ている。クリーニングしたばかりのコートを
慌ててきた人もいるのだろう。
 出社日の今朝、赤信号での横断歩道にたつ若い男性。コートにクリーニングのタグが付いている。後ろの腰のところ、小さなタグであり気が付かないのは当然だ。

横に立ち教えてあげた。コートを脱ぐまでもなくとってあげた。
彼は頭を下げ足早に歩いていった。

これが、もし、見つけ取ってあげたのが若き女性であったのならば恋に進展したのだろうか、
と昔のことを思いながら歩いてゆく彼の後姿をみる。

日野正平さん

急逝された。
3,4年前、コロナが猛威を振るっていたとき一か月、会社は
休み。そのころ普段は見ていなかった時間に見たのが
「心の旅路」。
以来、欠かさず見るようになり会社に行く前はまず新聞の
TV欄をチェック。録画予約してから家を出ていた。
今年の春、病気で番組は中断。秋に再開することだったので
愉しみにしていたのに。

ニュースできいて涙がでてきた。人の死を聞いて涙が出てきたのは
親が死んだ時以来だったと思う。

今日の新聞記事から

朝刊から
「93歳 使い切れなかった20億円」
都内のマンションで一人暮らしをされていて昨年の秋、亡くなられた男性
(享年93歳)。相続されない遺産が20億円。遺書があり一部を知人に遺贈、
残りは公的な団体へ遺贈。
都内の高級老人ホームに入居する89歳の女性。3年前に自身の金融資産
の遺贈先を決めるなど死後事務手続きの契約も終了・・・
と二人の方のことが書かれていた。きちんとされていた人なんだと思う
反面、お元気なうちに別な方法があったのではとも思った。

夕刊から
詩人の谷川俊太郎さんが亡くなられた。93歳だった。
「モーツアルトを聴く人」という詩集がある。
新聞記事に「モーツアルトの、僕が大好きな数小節に匹敵する詩が書けたら
死んでもいい」とあった。
数小節とは・・・

「モーツアルトのピアノソナタですって」
フグみたいな顔の女が教えてくれたらしい
とその詩集にあった。

福島・郡山

西田敏行さんがなくなった。福島・郡山の出身。1990年のNHK大河ドラマ「翔ぶが如く」で西郷隆盛役。

「僕の故郷・郡山は会津藩の管轄ですから当然会津びいきです。会津の人間にとっては、明治維新で会津を徹底的に打ちのめした薩摩と長州は、許しがたい敵なんです」
 西郷隆盛役のオファーが来たときは最初はためらったことを後日、語っていた。

 震災の前の年、青春18きっぷで磐越東線の列車に乗ったが途中、信号機への落雷で列車は遅延。郡山の駅近くの居酒屋で一夜を明かすことに。
呑みながら女将さんに自分はルーツは鹿児島と伝え、「今は福島の人は薩摩をどう思っているんですかえね・・・」と聞いてみたことがあった。女将さんは笑いながら
「戊辰戦争のこと?今は気にする人なんかはいないわよ。
でもね~、会津はまだこだわるかもしれないね~」

写真はその居酒屋があった路地のもの。約15年前のこと。この路地も無くなっただろうし、女将さんは元気だろうか

ノーベル文学賞とソウルの書店

ノーベール文学賞、韓国のハン・ガンさんが受賞された。名前を聞いて「うん?」と思った人は多いと思う。

ソウルを流れる大河はハンガン=漢江。一方でネットで
ハン・ガンさんを見ると韓・江さんとなっている。

12年前、ソウルを訪れたとき一番大きい書店と聞いていた「教保文庫」に行ったみた。新刊、在庫の検索システムは進んでおり、小さな切り抜き記事を見せただけで探していた本を見つけてくれた。進んでいるなと感心した。

今日あたり、この店頭にはハン・ガンさんの本が積まれるに違いないなと思いながらこの書店のことを思いだす。

地下一階に書店が広がる。日本書籍の専門コーナーもあった。

20年前

岐阜大垣の喫茶店で

この店の雰囲気は残っているようだ
西武鉄道有価証券報告書虚偽記載やダイエーの再建が
社会で問題になっていたころ

従兄弟

 母方の従兄弟がなくなりお葬式に行ってきた。自分には兄弟はなく従兄弟たちが兄弟のように親しくお付き合いしてくれてきた。伊那にいたときはご夫婦と三人で南アルプス・仙丈ケ岳に登山。奥さんは3000メートル級の山は初めてとのことだったが、従兄弟のアシストよろしく無事登頂。下山してその夜は我が家に泊まっていた頂いたのだが、夕食後、妻も含め4人での話は盛り上がった(子供二人はもう寝ていた)・・・楽しかった思い出、確か1998年7月のこと。

山頂をふみ北沢峠に向かう。正面は甲斐駒ヶ岳