前の職場のOB会。所沢で。
所沢の街はというと・・変容は激しい。駅の近くに20年近く前に閉店した丸井所沢店。
『ノースライト』(横山秀夫・2019年刊)に出てくる建築事務所はその近く。
そして西武ライオンズの秋山。最初の奥さん、
丸井所沢、確かネクタイ売り場に勤めていた・・・というようなこと聞いたことを思いだす。
超巨大数
88ヶ所霊場の廻り方。一番、二番と順番に結願まで進む場合と(順打ち)と、八八番から
八七番、八六番と逆に進む場合(逆打ち)の通常は二通りと考えられる。
が、それ以外に一番と結願・八八番だけ決めて二番と八六番の間は順序は自由とした場合
(乱れ打ち。と言うらしい)は何通りのコースが考えれるか、数学の本をみながら、高校時代の数学の授業を思いだしながら・・・といっても担当教師の名前ぐらいしか記憶にはないが、考えてみた。
その数字、86!と表現される・・・86の階乗
86×85×・・・・・×1
=2.42271e+130
通常の十進法で表すと
242,270,953,998,016,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000
この数値、宇宙に観測できる素粒子の数とかのレベルのはなし
55年前お茶の水
1970年11月25日は三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹事件を起こした日。
当時、自分は大学3年。母校中央大学も授業料値上げに端を発した紛争もようやくおさまり
普通に授業を受け三島由紀夫の『春の雪』を読んだりした生活を送っていた。
事件の翌日、学校のあるお茶の水にはいったが新聞を数紙買い求め午前中から夕方まで喫茶店で読んで過ごしたことを思いだす。その喫茶店が入っていたのが写真の建物。これは事件から50年後の2020年5月に撮影。
中央大学が八王子に移転しそのあとに保険会社の本社が建つ等付近は大きく変化。
当然の如く、喫茶店はないが確かこの建物だった。
当時はこのあたりには小さな喫茶店がいくつもあった。
その店で朝から夕方まで新聞を読みふけったこと、いまでも記憶にあり懐かしい。

クマ出没
日本の各地で熊が出没しているニュースが
毎日のように。7,8年前、秩父や奥武蔵の山を歩いていると時々「クマ出没注意」
カンバンを目にした。歩いていてこれを見るとドキッとするが、
まさか遭遇しまいと思いながら歩きとおしたものだ・・・この写真、
いずれも2017年12月
秩父琴平丘陵と都幾川・慈光寺から小川町への道
だが今年はさすが歩く気がしない・・・
登山者というかハイカーも減るのではなかろうか。


国勢調査
はじめて調査員を経験し。今日が調査活動の報告日、市役所の担当部署に行ってきた。
6月に応募し、説明会への出席、配布資料の準備そして9月20日から30日まで担当地域の一軒一軒を訪問して調査票を渡しながら回答依頼というスケジュール。
担当地域は自宅から徒歩5分以内のところ。最初、指定された担当地域を聞いて、「え、自宅の周りじゃないか」と思った。
でも訪問は一回行けば終わりというわけでもない。結果的には自宅の近所でよかった。
市への報告も終わり担当者としての仕事は一応、終了。
物価高対策
要因の一つの円安・・・歪んだ金利政策の結果
それをまだ続けようと
株高で喜んでいるのは一部の人間
精神的不調は身を忙しくして治す
「老活の愉しみ」 帚木蓬生 朝日新書より
甲斐駒ヶ岳黒戸尾根
9月2日朝日新聞の夕刊のトップ記事
『一番つらい』登山道を 取り戻す ・・・
かつては甲斐駒ヶ岳登山のメインルートであった「黒戸尾根コース」は北沢峠コースが
できてからそのハードさから訪れる人が少なくなり登山道の荒廃が進んでいる。
歴史のある登山道を守ろうと民間団体がこの夏、保全活動を開始したと。
「日本アルプスで一番代表的なピラミッドは、と問われたら、私は真っ先にこの駒ヶ岳をあげよう。その金字塔の本領は、八ヶ岳や霧ヶ峰や北アルプスから望んだ時、いよいよ発揮される。南アルプスの巨峰群が重畳している中に、この端正な三角錐はその仲間から少し離れて、はなはだ個性的な姿勢で立っている。まさしく毅然という形容に値する威と品をそなえた山容である」・・・と『日本百名山』の中で深田久弥は褒めちぎっている。

頂上から右下の方向が黒戸尾根。中央本線の列車の車窓から・・・2012/12
ぼくの登山の記録・・・1968/8
房総真夏
外房線土気から譽田までを歩く
蘇我まで行くつもりだったが炎天下、無理をせず

そろばん
家で仕事をしながら、電卓が見つからず。そばにあったそろばんでことをすます。
そろばん、使うのは昔、簿記会計を習った時以来だからもう60年近くまえ。
当時、そろばんでできたのは加減算のみ。掛け算、割り算は全くだめ。
当時『原価計算』という科目があったが、そこは掛け算、割り算の世界。
ではどうしたかといえば、白紙の計算用紙での計算(筆算)。時間がかかる。
簿記学校の答案練習会などに「タイガー計算機」なるものを持ってきた人もいた。
現在、1000円もすれば電卓が買える時代。だが、割り算や掛け算を筆算で行う
能力は低下しているかもしれない。
