迷子預かり所

歳を重ねると人の名前が出てこないことが日常茶飯事。

「そんなふうに忘れられた名前たちは、どこをさ迷っているのだろうか。
世界の果てには、迷子預かり所ののようなところがあって、そこに集まっていつか思いだしてもらえる日が来るのを、静かに待っているのかもしれない。預り所の片隅には、長い年月にわたり忘れられ続けている名前たちが、息をひそめ、肩を寄せ合っているのだ」
・・・小川洋子さんの「妄想気分」というエッセイ集から

忘れた名前、思いだせない名前、消えてしまったわけではないのだ、
これを読んで少し気が軽くなった気分だ

タヌキとムジナ

先日埼玉県の川島町を歩いた。そこにある字「上狢」・・・

この地名をみてムジナについて考えてみた。
新明解国語辞典には
① タヌキの異称。「同じ穴のー」②アナグマの異称。
とあるがタヌキはイヌ科、アナグマはイタチ科で生物学的には異なる。しかしことわざは「ムジナ」を狸やテン、ハクビシンなどの穴を掘って生活する哺乳類動物の俗称として利用。一般的には狸もムジナも区別されずに考えられている。

昔、「たぬき・むじな事件」という有名な裁判があった。
事件があったのは栃木県の大芦村、今の鹿沼市。
当時タヌキは狩猟法上、捕獲禁止だった。そういう状況で被告はムジナ・・狸とは異なる動物と認識して、捕獲して捕まったのだ。
その大審院判決文の一部
「狸、貉(むじな)の名称は古来併存し、我国の習俗此の二者を区別し毫(いささか)も怪まざる所なるを以て、狩猟法中に於て狸なる名称中には貉をも包含することを明(あきらか)にし、国民をして適帰(てつき)する所を知らしむるの注意を取るを当然とすべく、単に狸なる名称を掲げて其の内に当然貉を包含せしめ、我国古来の習俗上の観念に従い貉を以て狸と別物なりと思惟(しい)し之を捕獲したる者に対し刑罰の制裁を以て臨むが如きは、決して其の当を得たるものと謂(い)うを得ず」
— 判決文から一部抜粋

川島町上狢・・・自然堤防上の集落

自分史

「『私の履歴書』を始めとする自分史を見れば明らかなように、大抵の人は
自身のプライドを守るために不都合な事実を隠蔽し、自己光栄化に
はしりたがるもので、・・・」   

『小説作法XYZ』島田雅彦(新潮社)にある。
 先日、昔の勤務先OB誌が送られてきて読んだ。近況報告もあるわけだが
読むと感じが少し似ているなと思うものもあった。

箱根駅伝

よく頑張りました

第4区まで走りをみて、ひょっとしたらと思いましたが・・・・
が、ここ数年シード落ちたりした年もあったこと思えば
5位、立派なものです

わが母校

2025年元旦

今年は諸々のことをせねば、したいとおもいながらも
今日のという日ははや半日、経過

不可軽一寸光陰

タグ

 急に寒くなりほとんどの人はコートを着ている。クリーニングしたばかりのコートを
慌ててきた人もいるのだろう。
 出社日の今朝、赤信号での横断歩道にたつ若い男性。コートにクリーニングのタグが付いている。後ろの腰のところ、小さなタグであり気が付かないのは当然だ。

横に立ち教えてあげた。コートを脱ぐまでもなくとってあげた。
彼は頭を下げ足早に歩いていった。

これが、もし、見つけ取ってあげたのが若き女性であったのならば恋に進展したのだろうか、
と昔のことを思いながら歩いてゆく彼の後姿をみる。

日野正平さん

急逝された。
3,4年前、コロナが猛威を振るっていたとき一か月、会社は
休み。そのころ普段は見ていなかった時間に見たのが
「心の旅路」。
以来、欠かさず見るようになり会社に行く前はまず新聞の
TV欄をチェック。録画予約してから家を出ていた。
今年の春、病気で番組は中断。秋に再開することだったので
愉しみにしていたのに。

ニュースできいて涙がでてきた。人の死を聞いて涙が出てきたのは
親が死んだ時以来だったと思う。