やはり一日、雨というのは鬱陶しい
が、リモートワークだったので濡れずにはすんだ」

「雨」 昔、ジリオラ・チンクエッティというイタリアの
女性歌手の歌がヒットしていたな。知っているのはだぶん
60代後半以降の人だと思う

20年前の新宿西口 黒い生命保険会社のビル、今はない

自動車ナビ

身内が運転する小型車にのった。
後部座席から身内が運転するのを見る。
エンジンをかけ走り出す前に現在地と目的地を
インプット。あとはそのナビを見ながらハンドルを握る。

「200メートル先の交差点を右折、
道路のイラスト図にそって・・・」 と逐次カーナビは指示してくる。

便利とかのうたい文句だがどうなんだろう
前に「話を聞かない男、地図の読めない読めない女」
という本があった。その解説で男は
「男は危険だらけの外界に出かけ、生命を賭けて食べ物を手に入れる。それを女と子どもに食べさせ、猛獣や敵から家族を守らねばならなかった。その結果、長い距離を自由に動き回る感覚が発達し、弓矢の腕も上がった。男の職務内容を一言で表せば、メシの調達係。それが男の役回りだった」

これから思えば、カーナビ、男というか人間の能力の劣化に手を貸すことには間違いない。

初夏の房総を歩く

いすみ市山田

いすみ鉄道の上総東からJR御宿まで、直線距離にして10キロ、実際は15キロ以上か。
結構、歩いたと思う。
今頃の田、一番好きな時期である。日本ならの風景、原風景だと思う。
御宿海岸、入社したての頃、職場の人たちといった海水浴のことを思いだす。
50年前のことだが。

渭城朝雨

渭城朝雨潤軽塵
客舎青青柳色新
勧君更尽一杯酒
西出陽関無故人

王維 元二の安西に使するを送る
青々柳色新・・・こんな色だったのだろうか

人の名前

年齢を重ねると物忘れ、人の名前を忘れることは日常時茶飯事。
人の名前、つい最近会った人の名前でもままある。

しかし、学校の先生など若いころに覚えた名前は忘れないものだ。
今日、父母の墓参りに行った。
東京小平霊園。新緑、緑の世界はいいものだ。
帰りは霊園の中を駅に向かうわけだが神道やキリスト教のお墓、
無宗派だが墓石に「心」とか「感謝」と刻まれたものもある。
そして「和歌森家」と刻まれた墓石が目にとまった。
「和歌森」という名前、「そういえば高校時代、著者が『和歌森太郎』
という日本史の参考書があったな」と記憶がよみがえる。
 そして隣の墓誌を見ると「和歌森太郎 昭和52年4月~没』と刻まれて
いた。えっ、と思いながらスマフォでみてみる。

和歌森太郎 昭和52年4月7日死没 墓所小平霊園 とあった。

新緑の小平霊園

麦気

栃木県佐野市    ’24/4/28

石梁茅屋有彎碕
流水濺濺度両陂
晴日暖風生麦気
緑陰幽草勝花時

      初夏即事   王安石

田園を歩いていて鼻に入る麦の匂い、懐かしさと同時にいいものです

煙花

かすみと花・・・

故人西辞黄鶴楼
煙花三月下揚州
弧帆遠影碧空尽
唯見長江天際流

李白が揚州に向かう孟浩然を
見送るときの詩
故人 中国の古典ではふるなじみ、親友を言う

煙花   こんな色、空の色だろうか
東京ではカメラをどこに向けてもビルばかり
東京・人形町