通勤、職場、日中の過ごし方
対応の仕方、自ら考える
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海水浴シーズン
海水浴と言えば思い出すのが中学2年の時の
臨海学校。千葉県の館山の内房海岸。宿泊は地元の中学校か小学校の校舎だった。
寝具用に各自、家にある古い毛布を持参。
夕食は確か、地元のお母さんたちが作ってくれたものだった。
そのとき焼いたか煮たアワビがだされた。初めて見るアワビ、苦手な印象で
食べたのか残したのか覚えていない。
夕食後のキャンプファイヤー、夕日を見ながら吉野という男の先生が
”新世界”を歌われたことや歩いて外房海岸まで太平洋を見に行ったこと
想い出が残っている。 昭和38年8月のこと
写真は2018年8月3日・・・外房海岸・臨海学校で訪れたあたり
・・・のはず。この日も砂浜ははだしでは歩けない暑い日だった。
55年前のことを思いだしながら訪れた。
新聞やTV、真夏日云々のが多い
しかし、最近はまだしのぎやすい、
涼しささえ思う
やはり一日、雨というのは鬱陶しい
が、リモートワークだったので濡れずにはすんだ」
「雨」 昔、ジリオラ・チンクエッティというイタリアの
女性歌手の歌がヒットしていたな。知っているのはだぶん
60代後半以降の人だと思う
20年前の新宿西口 黒い生命保険会社のビル、今はない
身内が運転する小型車にのった。
後部座席から身内が運転するのを見る。
エンジンをかけ走り出す前に現在地と目的地を
インプット。あとはそのナビを見ながらハンドルを握る。
「200メートル先の交差点を右折、
道路のイラスト図にそって・・・」 と逐次カーナビは指示してくる。
便利とかのうたい文句だがどうなんだろう
前に「話を聞かない男、地図の読めない読めない女」
という本があった。その解説で男は
「男は危険だらけの外界に出かけ、生命を賭けて食べ物を手に入れる。それを女と子どもに食べさせ、猛獣や敵から家族を守らねばならなかった。その結果、長い距離を自由に動き回る感覚が発達し、弓矢の腕も上がった。男の職務内容を一言で表せば、メシの調達係。それが男の役回りだった」
これから思えば、カーナビ、男というか人間の能力の劣化に手を貸すことには間違いない。
いすみ市山田
いすみ鉄道の上総東からJR御宿まで、直線距離にして10キロ、実際は15キロ以上か。
結構、歩いたと思う。
今頃の田、一番好きな時期である。日本ならの風景、原風景だと思う。
御宿海岸、入社したての頃、職場の人たちといった海水浴のことを思いだす。
50年前のことだが。
渭城朝雨潤軽塵
客舎青青柳色新
勧君更尽一杯酒
西出陽関無故人
王維 元二の安西に使するを送る
青々柳色新・・・こんな色だったのだろうか
年齢を重ねると物忘れ、人の名前を忘れることは日常時茶飯事。
人の名前、つい最近会った人の名前でもままある。
しかし、学校の先生など若いころに覚えた名前は忘れないものだ。
今日、父母の墓参りに行った。
東京小平霊園。新緑、緑の世界はいいものだ。
帰りは霊園の中を駅に向かうわけだが神道やキリスト教のお墓、
無宗派だが墓石に「心」とか「感謝」と刻まれたものもある。
そして「和歌森家」と刻まれた墓石が目にとまった。
「和歌森」という名前、「そういえば高校時代、著者が『和歌森太郎』
という日本史の参考書があったな」と記憶がよみがえる。
そして隣の墓誌を見ると「和歌森太郎 昭和52年4月~没』と刻まれて
いた。えっ、と思いながらスマフォでみてみる。
和歌森太郎 昭和52年4月7日死没 墓所小平霊園 とあった。
新緑の小平霊園
栃木県佐野市 ’24/4/28
石梁茅屋有彎碕
流水濺濺度両陂
晴日暖風生麦気
緑陰幽草勝花時
初夏即事 王安石
田園を歩いていて鼻に入る麦の匂い、懐かしさと同時にいいものです