一寸光陰不可軽

 月日が経つのは早い。今日9月3日も過ぎようとしている。

 少年易老学難成
 一寸光陰不可軽
 未覚池塘春草夢
 階前梧葉已秋声

昭和45年(1970)頃 三つ峠

後立山

 昔のメモが本の中にあった。  1976/8/27~31
新宿・白馬 急行で2,590円、山小屋1泊2食3,200円、山小屋でのビール400円etc.
 43年前の今日、五竜岳から鹿島槍へ単独で登ったときのもの。結構細かくメモしている。

国鉄白馬駅、八方尾根をロープウエイで登り、唐松岳を経て五竜山荘。
翌日、五竜岳、鹿島槍そして冷池山荘。
次の日、大町へ降り、黒4ダム、富山を経由して帰京。

 雲一つない二日目、朝日を浴びた剣を右に見ながら五竜岳に向かって登っているときの
後立山に来ているという実感、
八峯紀レットから鹿島槍に登るときのきつかったこと

  あの思い出、あれが自分の青春だった・・・

鹿島槍頂上から北、白馬岳

人間万事塞翁が馬

「闇の盾」とういう本を読んだ。そこに書かれているのは日本がバブルに沸いていたころの政治、官僚そして経済の世界での人間の浮き沈み。

 その中にあった一人の法曹人。大学を卒業した年に司法試験に合格。検事となりまずは無難に勤めあげ名古屋高等検察庁検事長を最後に退官。あとは弁護士に。

 有名財界人の顧問弁護士、大学の講師、叙勲(瑞峰重光章)なども。
しかし2018年2月、男性を車ではね自動車運転過失致死罪に問われ有罪。最高裁まで争ったが上告棄却。
 

 事故当日は歳が孫ほどの差がある女性とゴルフへの待ち合わせだったと。

そして、2023年5月、法の規定により弁護士資格を失い
今月初めには勲章を返上とあった。

同じ大学。自分より10歳以上年長のこの先輩。いま、どういう心境だろうか。

母校があった神田駿河台。語学の白水社が見える。

なつかしい看板

このお店、いつ頃閉店したのだろうか。
お客は団塊の世代、あるいは少しあとの世代

 埼玉県蕨市 日本で一番狭い市だそうだ

光陰矢のごとし

8月も半ば過ぎ。地元の小学校で言えば、夏休みもあと
2週間を残すだけ。

「少年易老学難成 一寸光陰不可軽」
本当にそう思う。

迎え火

を焚きました。

「西洋人の『無神論』日本人の『無宗教』」
という本を図書館で借りてきました。

「迎え火」とは・・・

蛙鳴蝉噪

朝、母校の小学校正門前を通るときはセミの鳴き声のシャワー
を浴びる。その時、「あめいせんそう」この言葉を思う。

 辞書には「蛙の鳴き声とセミの騒がしい声」
「つまらぬことをくだくだ述べている文章、議論」
とある。
 このセミの声とかカエルの鳴き声、自分は好きだ。
昔はこういう消極的な意味の熟語できるほどたくさんの鳴き声が
豊富、自然が豊かだった・・・

緑陰幽草勝花時

盛夏の木陰ほどありがたく感じるものはありません。
大隣寺 福島・二本松市  2013年7月